日本柔道史上最年長となる32歳にしてパリ2024オリンピックで初出場を果たした橋本壮市選手。完全アウェイの中での敗戦から立ち直り、敗者復活戦を勝ち抜き、銅メダルを獲得した。そんな彼にオリンピックの戦いを振り返ってもらった。
――個人としての銅メダル、そして団体総合の銀メダル獲得、おめでとうございます。悔しい気持ちもあるかと思いますが、率直にどんなご感想をお持ちかを聞かせてください。
ありがとうございます。ずっと金メダルを見据えてきたので、やはり悔しい気持ちはあります。そして、この大会に向けてすべてをかけてやってきたので、終わってすっきりした気持ちもあります。
――敗れた準々決勝は、地元フランスのジョアンバンジャマン・ガバ選手との対戦でした。組手争いも激しく、延長戦にもつれこむ接戦となりましたが、橋本選手はどんなことを考えながら戦っていらっしゃったのでしょうか。
会場は完全アウェイで歓声が本当にすごかったですが、それでもプレッシャーは感じていなかったです。指導やポイントをとりにいくというよりは、とにかく投げにいくことにこだわっていました。
――完全アウェイということでしたが、それだけフランスは柔道に対して目の肥えた方が多いということもいえますよね。改めて、パリの会場はどのような雰囲気だと感じていらっしゃったのでしょうか。
雰囲気も歓声も本当にすごかったので、ああいう場所で柔道ができたことはうれしく思います。日本の皆さんにも、柔道の素晴らしさをもっと知ってほしいなという気持ちがあります。
――結果としてはこの試合で敗れて、敗者復活戦にかけていくわけですけど、橋本選手はうまく切り替えることができたのでしょうか。
正直なことを言えば、心は一度折れかけましたが、柔道人生に悔いを残したくない気持ちで戦いました。それが自分なりの切り替えのポイントだったと思います。
――実際、そうやって銅メダルを手にした感想はいかがですか。
素直にうれしかったです。金メダルがほしかったのですが、メダルがとれたことは本当にうれしい気持ちでした。
――日本柔道史上最年長の挑戦、32歳で初出場ということで、橋本選手は何かと年齢が注目を集めていましたが、ご本人としてはその点どのように感じていらっしゃいますか。
いえ、全然何とも思ってないです(笑)。ただ、史上最年長でメダリストになれるたこともうれしいです。これから先についてはどうなるかわかりませんが、まだまだ突き進んでいきたいと思っています。
――オリンピックのメダリストとなりました。周囲の反響はいかがでしょうか。
オリンピックはやはり反響が違うなというのはありますね(笑)。やっぱりメッセージだったり、SNSだったりを通じて、いろいろと連絡をいただきました。
――初めてのオリンピックでした。橋本選手はさまざまな国際大会を経験されていますが、何か違いを感じましたか。
4年に1回ということで、すべての選手がここに懸けてきている感じがあります。ちょっとしたお祭りのようなところもあるのではないかと感じました。
――改めて、最後に何かメッセージしておきたいことはありますか。
史上最年長でメダルをとれたことは、やはりすごくうれしいですし、誇らしく思っています。
――それも巡り合わせというか、橋本選手自体が粘り強くやってきた証ですね。
そうですね。本当にあきらめなくて良かったと思います。
――ありがとうございます。改めまして、銅メダル獲得おめでとうございます。これからも素敵な柔道家としてますますのご活躍を応援しています。
ありがとうございました。頑張ります。
橋本壮市(はしもと・そういち)
1991年8月24日生まれ。静岡県出身。6歳の時に柔道を始める。高校時代に史上2校目となる2年連続高校3冠を果たすなど少年時代から注目を集める。2015年全日本選抜柔道体重別選手権で、同学年のライバル大野将平選手を破り優勝を果たす。16年グランドスラム東京で優勝したのを皮切りに、袖釣込腰を片手で決める「橋本スペシャル」を武器として、世界選手権、世界柔道団体選手権、ワールドマスターズ、グランドスラムなど数々の国際大会で優勝を飾る。24年パリ2024オリンピックでオリンピック初出場を果たすと、男子73kg級で銅メダル、混合団体で銀メダルを獲得。パーク24株式会社所属。
注記載
※本インタビューは2024年8月4日に行われたものです。
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