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2024.10.08 Paris2024 Medalists’ Voices

歴史に名を刻めた喜び ー しんどくて最高の6分間を楽しんだ先につかんだ栄冠(レスリング・日下尚)

男子グレコローマン77kg級で金メダルを獲得した日下尚選手(PHOTO:Enrico Calderoni/AFLO SPORT)

日下 尚

底抜けに明るいパリ2024オリンピックの金メダリストは、「メンタルが弱い」と言われていた過去を持っていた。レスリング男子グレコローマン重量級で新たな歴史をつくった若きチャンピオン、日下尚選手の素顔に迫る。

世界で一番の栄光をめざして

――初出場のオリンピックで金メダル獲得となりました。本当におめでとうございます。今、どんなお気持ちでしょうか。

 「本当に自分のものなのかな」という気持ちでした。昨日は夢を見ているようで、現実味がなかったのですが、一夜明けて、眠れないくらいさまざまな夢を見たといった感じです。

――77kg級では日本レスリング史上初のメダルです。グレコローマンでは文田健一郎選手が40年ぶりの金メダルを獲得し、日下選手がそれにすぐ続きました。1大会でグレコローマン2個の金メダルは東京1964オリンピック以来60年ぶりとのことです。日本レスリング界の歴史をつくった一人として、どんな思いを抱いていますか。

 部屋に帰り文田先輩と会った時に、グレコローマンで1大会2個の金メダル獲得というのが東京1964オリンピック以来60年ぶりということだったので、「二人で歴史に名を刻めたことが本当に良かった」という話をしました。本当にうれしい気持ちです。

――SNSの反響や皆さんからの祝福メッセージなどは、他の大会とは違うものですか。

 全然違いましたね(笑)。ヤバすぎてびっくりしています。レスリングはめちゃくちゃマイナー競技で、普段は日の目を浴びることがありません。だからこそオリンピックを目指してきたわけですが、今は携帯電話を見ても、わけがわからないほどになっていますね、連絡も全く返せていないですが、本当にうれしくて光栄なことだと思います。

――試合のことを振り返りたいと思います。1回戦が9―0で完封、2回戦が12―2。ともにテクニカルスペリオリティでの圧勝でした。準決勝は一転して、第1ピリオドが1―1、第2ピリオドで突き放したものの、大接戦となりました。戦っていた日下選手ご自身はどのように受け止めながら戦っていたのでしょうか。

 1回戦、2回戦は結果的にテクニカルスペリオリティになりましたが、自分のレスリングは接戦で勝つのが本来の持ち味です。これまで、楽な試合をしようとすると、自分の甘い欲の部分が出てしまって負けることが多かったので、苦しい試合をして勝つことが自分の中でもテーマになっていました。ですから、準決勝以降がまさに想定していたプラン通りの試合内容でした。接戦で勝つという部分では、自分の持ち味を活かすことができたのかなと思います。

――準決勝が終わり翌日に向けて、決勝前夜はどんな感じで眠りについたのでしょうか。

 レスリングは体重の計量があります。2日目も減量する必要があり、体重を落とし終わった後ということもあって、めちゃくちゃ疲れていました。でも、「あと一回、世界で一番しんどい試合をすれば、世界で一番の栄光を手に入れられる」と考えることができたんです。そう切り替え、覚悟ができた状態で眠ることができました。

――決勝戦は先制を許し、第1ピリオドが終わって2点ビハインドの状態でした。そこから逆転したわけですが、インターバルではコーチたちを含めてどのような話をしていたのでしょうか。

 先制されてしまったこともあって、先ほどお話しした「プラン通り」というわけではありませんでした。6分間攻め続けることがテーマだったのですが、初めの3分は相手の攻めを受ける形になってしまって、残り3分はもう攻めるしかありませんでした。どの試合でもそうなのですが、「残り3分出し切るよ、行け、まだ負けていないだろう」というふうにコーチからも言われました。もう一回気持ちを入れ直して、自分をハイテンションにして、ラスト3分出し切る。倒れてもいいから出し切ろうという感じでしたね。

日下尚選手は「自分の持ち味を活かすことができた」と胸を張った(PHOTO:Enrico Calderoni/AFLO SPORT)

最高の大歓声を背に受けて

――日下選手の明るさが伝わってくるオリンピックでもありました。こうしたポジティブな性格は、生まれつき備わっていたものなのでしょうか。

 いえ、全然違います。昔は、接戦も絶対といっていいほど負けていて「メンタルが弱い」と指摘されながら育ちました。中学、高校と家から10kmほど離れた高校に通っていたので親に車で送り迎えしてもらっていたのですが、そういうところが精神的に弱い原因ではないか、などとも言われていたほどです。ただ、田舎を離れて、日本体育大学に入学し、一番恵まれた環境に入ったことによって、「いちいちくよくよしてられないし、すべてをプラスにとらえよう」という考えに変わったと思います。

――大学生になって寮に入ったことが、自分を変える契機になったのですね。

 はい。初めて寮に入ると、学年が違う先輩たちと4人で相部屋だったのですが、これまでしたことないようないろいろな経験が毎日のようにありました。練習も生活もきついし、だからこそそこですごくメンタルが強くなりました。今では、自分は根性で相手を倒すタイプだと思っています。

――日下選手のお名前「尚」は、シドニー2000オリンピックの女子マラソンで金メダルを獲得された高橋尚子さんの1文字をとって名付けられたと伺いました。日下選手が試合後におっしゃった「最高に楽しい6分間でした」も、高橋さんの「最高に楽しい42kmでした」をオマージュしたものでした。こうした明るいオーラはどうやって培われたのでしょうか。

 培われたものなのか、元々だったのか……。自分でもわからないですね。でも、オリンピックのマットに立って試合することはとにかく気持ちが良かったです。だからその分、テンションが上がってしまって、バック宙をしたり、技をかけ合ったり、最高のボルテージになっていました。

――3年前の東京2020オリンピックは無観客でした。パリ2024オリンピックでは、新型コロナウイルス感染症も収束し、本当に多くの観客によるものすごい大声援の中でのレスリングとなりました。どのような気持ちでしたか。

 そうですね。いざ会場に入場して、「ブワーッ」という観客の大歓声を聞いた時に「これがオリンピックか。最高だ」と感じました。でもそれと同時に、それが「絶対負けない、負けられない」という勇気のような気持ちで自分自身を鼓舞できしました。

自らレジェンドに学ぶ姿勢

――TEAM JAPANは、他の競技も含めて好調でした。さまざまな競技からの流れを、大会終盤、レスリングチームが受け継ぐ形になりました。日下選手にとってはプレッシャーになることはありませんでしたか。

 直前の合宿でNTC(味の素ナショナルトレーニングセンター)にいたのですが、そこでずっとオリンピックを目にしていました。会場が同じだった柔道なども「俺もここで試合をするのか」とワクワクしながら観ていました。ここに懸けてきたからこその緊張感もありましたが、変なプレッシャーは1mmもなくて、最高にワクワクした気持ちでパリに入ってきました。

――柔道の試合をテレビで観ていたとのことですが、画面越しの会場と、実際にマットの上に立って感じた違いはありましたか。

 入場の雰囲気は一緒なのだろうと思って会場に入ってきたのですが、本当に全く一緒でしたね(笑)。

――イメージ通りだったわけですね。

 はい、角田夏実選手が入場してきたそのままの絵で、イメージ通りでした。

――テレビといえば、中継番組にゲスト出演されていた伊調馨選手が、日本体育大学で練習をする際に、日下選手が物おじせずに話しかけてくれてうれしかったという話をされていましたよ。

 本当ですか。憧れの選手なのでうれしいです。練習まで少し時間があったので、少し休憩しようとカフェに入ったのですが、席に座って横を見たらたまたまそこに伊調選手がいらして、「あ、伊調選手だ!」ということで話しかけたんですよね。すごく面白い人でした(笑)。

――年上のレジェンドと話してコミュニケーションをとることで、いろいろなことを教わりやすくもなりますよね。

 はい、そうですね。伊調選手はどう感じているかわからないですが、親しみやすいですし、学びになるようなことをいろいろ聞けますし、レジェンドとお話しすることも普通ではできないことなので、やはり自分はいい環境にいるなと感じています。

――まさにそういう明るさも強みだと思うのですが、ご自身では日下尚という選手の強みはどのようなところだと思いますか。

 最近、外国人から「マシーン」と呼ばれることが多いです。とにかく動き続けるという、そこがやはり強みですかね。選手はどうしても止まって休みたくなる時もある中で攻め続ける。頭のネジを飛ばして動き続けられるところが強みですね。

――スタミナということですかね。

 長距離を走るのが速いというわけではないのですが、やはりスタミナですよね。攻め続ける力。前に出続ける力。相撲をやっていたことも武器になっています。今回オリンピックで勝ち上がれたのもそこが理由だと思います。

――改めまして、本当におめでとうございます。レスリング界を背負う存在として、ますますの大活躍を期待しております。

 ありがとうございます。頑張ります。

日下尚選手(PHOTO:Reuters/AFLO)

■プロフィール

日下尚(くさか・なお)
2000年11月28日生まれ。香川県出身。小中学生時代はレスリングと並行して相撲にも取り組んで全国大会に出場した。17年JOCジュニアオリンピックカップ・男子グレコローマン・カデット(現U17)76kg級で初の全国優勝を果たす。大学1年生の時に明治杯全日本選抜選手権、全日本選手権の72kg級で優勝。翌年、全日本大学グレコローマン選手権72kg級で優勝したあと77kg級へ階級を変えた。23年の世界選手権では、男子グレコローマン77㎏級で3位に入り、オリンピックの代表に内定。24年アジア選手権男子グレコローマン77㎏級で優勝した。同年パリ2024オリンピック男子グレコローマン77㎏級で金メダルを獲得。日本レスリング史上最重量級のメダリストとなった。三恵海運(株)所属。

注記載
※本インタビューは2024年8月8日に行われたものです。

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