男子90kg級、混合団体ともに銀メダルを獲得した村尾三四郎選手。難しい判定もあって金メダルにあと一歩届かなかったが、それでも対戦相手や審判などに対して美しい姿勢を貫いたことが高い評価を受けた。村尾選手の素顔と本音に迫る。
――村尾選手、銀メダル獲得、おめでとうございます。個人戦、団体戦、ともに銀メダルということになりました。もちろん悔しい気持ちもあるかとは思いますが、率直な気持ちをまずは教えていただけますか。
個人、団体ともに銀メダルに終わってしまったのですが、ここまでの道が長かったので、 達成感というのか、「やりきったな」という思いが込み上げてきています。
――観て応援することしかできない私どもから言うのも大変恐縮ですが、本当に胸を張ってほしいと思います。個人戦男子90kg級のラシャ・ベカウリ選手(ジョージア)との決勝では、幻の判定ともいわれるような微妙な判定もありました。それでも、素直に勝者をたたえる姿勢が素晴らしかったという評価も受けています。また、フランスとの団体戦に敗れた後も、最後の試合を戦った斉藤立選手に寄り添い慰めている姿も印象的でした。ご自身の中ではどういうお気持ちだったのでしょうか。
日本人として柔道をやっている以上は、柔道家精神を忘れてはいけないと思っています。そして、TEAM JAPANとして戦っている限り、自分の行動や言動に細心の注意を払うように意識しているつもりです。
――美しい柔道家という印象を受けた方も多いと思います。柔道の判定も、機械やAIなどデジタル技術を導入したほうがいいという議論が生まれています。柔道競技が進化するために、アスリートの視点で村尾選手が感じることはありますか。
難しい問題ですね。もちろんルールはしっかりあるべきですが、審判も人間ですし、試合も生ものです。すべてをはっきりさせようとし過ぎることで、柔道がつまらなくなってしまうという面もあると思います。今、僕が何か具体的な解決策を思いついているわけではないのですが、柔道をあまりよく知らず、オリンピックで初めて観るような人たちでも、わかりやすく納得できるような方法があればいいなと思います。
――パリ2024オリンピックは東京2020オリンピックと違って、大観衆の前での試合となりました。とくにフランスは柔道大国ということもあり、ファンの皆さんの目も肥えています。戦いながら、どんな印象を受けていましたか。
個人戦では準決勝でフランス人選手と当たり、団体戦では決勝でフランスチームと戦いましたが、会場全体が一体となって本当にものすごく盛り上がっていました。フランスチームへの応援のおかげで、気持ちのボルテージが一段階上がり精神が研ぎ澄まされたような感覚があったので、僕はその声援を力に変えられたのかなと思っています。
――世界選手権など他の国際大会にも参加されていますが、オリンピックとの違いのようなものは感じましたか。
やっていることはいつも通りなのですが、すべての選手たちが目指していて「オリンピックだ」という気持ちで挑む試合なので、かかる重圧も大きいですし、ある意味で神聖化もさ れます。そうした特別な思いというのが、オリンピックの舞台をより特別なものにしているのかなとは思いました。
――残念ながら、あっという間に時間がきてしまいました。最後に、村尾選手から伝えたいメッセージをお聞かせください。
柔道は、今、武道とスポーツのちょうどはざまにあるのかなと感じています。日本の古きよき柔道というものをつないでいくことが、結果的に日本柔道の新たな進化につながると思うので、柔道を知らない人にも、元々知っている人にも、改めて日本の柔道というものをぜひ理解してもらいたいなと、頭の片隅にあります。
――たしかに、日本発祥の「柔道」と「JUDO」が今は混在しているような感じなのかもしれませんね。村尾選手がおっしゃっていただいたことも、ぜひこれから伝え続けてください。素敵な柔道家としてますます進化されていくことを期待しています。
はい、本当にそうですね。ありがとうございました。
村尾三四郎(むらお・さんしろう)
2000年8月28日生まれ。アメリカ・ニューヨーク州出身。日本人の父、アメリカ人の母を持つ。2歳の時に日本に移住し、5歳で柔道を始める。22年ワールドマスターズを制覇、23年世界選手権銅メダルを獲得するなど着実に結果を出し、男子90kg級の代表争いを制し、パリ2024オリンピックの代表の座を手にする。オリンピック初出場となった24年パリ2024オリンピックで銀メダルを獲得。男子90kg級では日本勢2大会ぶりとなるメダル獲得を果たした。混合団体では、銀メダル獲得に貢献。ジャパンエレベータサービスホールディングス(株)所属。
注記載
※本インタビューは2024年8月4日に行われたものです。
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