アスリートメッセージ
--プール育ちの競泳選手が海で泳ぐのは恐いことではないですか?
「恐いです!時には底が見えないくらい深いところを泳がなくてはならないこともありますし、平らじゃないし、いつどこからどんな生き物がでてくるかわかりませんから。試合の時は考える余裕もありませんが、サメが出てきたらどうしよう、と思うこともあります。アテネの海は何も心配なく、コバルトブルーの素晴らしく美しい海でした」
--スイムは早い者勝ちでいいコース取りをするのですか?
「海で泳ぐということは潮の流れを読めなければいいコースは取れません。海面のマークまでの最短距離ではなく、潮に乗って流されることを計算して有利に泳ぐには経験が必要です」
--ウエアは競泳の水着と同じですか?
「形は似ていますが、トライアスロン用は競泳用と違い、様々な大きな動きに対応できるように設計されています。競泳用に比べてゆとりがあり、水から出たら直ぐに乾く素材でできた専用のウエアです。それにしても水着で自転車に乗るなんて、トライアスロンを知らない人が見たら不思議な光景でしょうね(笑)」
--バイク(自転車)はどうですか?
「バイクは基本的にロードレーサーを使います。これにダウンヒルバー(DHバー)という腕を動かさずに空気抵抗を減らして操作するための、20段のギアを取り付けます。バイクの速度は男子の下りで70km/h下り、女子でも平均40km/hに達します。空気をパンパンに入れたタイヤの接地面の幅は、たったの1mmなんですよ」
--トライアスロンには他のどの競技にもないトランジション(種目変更)ということがありますね。ドラマが起こりそうな気がしますが?
「そうです。トライアスロンの場合はスイムからバイクへ、バイクからランへと2回のトランジションがあります。この時、ヘルメットのストラップをつけるのに手間取って5秒ロスすれば、その後取り戻すのは無理かも知れないし、スムーズに行けば何人もを抜くことができるかもしれない勝負どころです。
実際にはスイムからバイクよりもバイクからランへの移行の方が難しいです。これを克服するためにデュアスロン(バイクとランの2競技)を繰り返して練習します」
--トライアスロンは石垣島のような暑いところでも盛んですね。
「暑いところばかりではなく寒いところでもあります。今までで厳しかったのはイギリスとカナダです。サケと一緒に泳ぐような場所で、水に顔をつけるのも躊躇するくらいの冷たい水の中でレースをしたことがあります」
--もう一度レースで行ってみたいところはどこですか?
「モナコです。バイクとランは車のフォーミュラ1と同じレースコースを走ったのですが、美しくて・・・・・・本当に素敵でした。もう一度行ってみたい場所です」
--日本で一番見ごたえがあり、楽しいのはどのレースですか?
「日本のトップアスリートが全員集合してナンバーワンを決めるジャパンカップの最終戦です」
2004年ITUインターナショナルイベント東京港大会、第10回日本トライアスロン選手権東京港大会兼ジャパンカップシリーズチャンピオンシップ大会は今年もお台場を舞台に行われ、9万5000人の観客が見守る中、関根選手は見事優勝。JTUジャパンランキングも最終成績で1位を獲得しました。
--来年以降の予定を教えて下さい。
「2005年5月15日は石垣島でワールドカップ第2戦が開催されます。ワールドカップで日本はまだ優勝したことがないので、優勝を狙います。また9月11日には愛知県の蒲郡で、日本で初めて世界選手権が開催されます。この大会にはぜひ3位以内に入って表彰台に立ちたいです。
これからの4年間は、今までのどの年とも全く違う4年になるという気がしています。1年1年を大事にして、その先にある2008年の北京大会ではメダルに絡む試合がしたいと思っています」
(2005蒲郡世界選手権は2005年愛知万国博覧会パートナーシップ事業として登録、日本全国と90以上の国と地域にテレビ放映される予定。9月10日土曜日は、ジュニア・U23世界選手権、9月11日日曜日が世界選手権 。)
1998年11月、関根選手は伊豆修善寺で行われた小さなレースで初優勝。トライアスロンを始めてから3カ月後の事。「こんなのでいいの?」というのがその時の感想だったそうです。そしてその2年後には念願のオリンピック初出場。シドニー大会の結果は17位、連続出場を勝ち取ったアテネ大会は12位。ジャパンランキングは2001年1位、2002年3位、2003年4位、2004年1位。
「トライアスロンは経験がものをいう競技。32〜33歳でピークを迎える選手が多いです」
関根選手は今年29歳ですから、4年後のオリンピック、北京大会の頃にトライアスリートとして頂点を迎えているはず。
「いつか若い世代にこの座を譲らなければならない時がくるかもしれません。その時にはきっぱりと辞めて別の事をしようと思っていましたが、最近考えが変わってきました。トライアスロンが若い競技で、まだまだ確立されていない部分を持っていていますし、日本にはまだオリンピックで勝った経験を持つ指導者がいません。今はあまり深く考える時間はないのですが、北京で勝って後進の指導にあたることも、これからの私の人生の視野に入れようと思います」
1975年8月30日生まれ
福岡県北九州市出身
九州国際大学付属高等学校女子部卒業
NTT東日本・NTT西日本所属
ホームページ:http://www.akko-sekine.net/
1999年 世界選手権モントリオール大会 13位(日本人1位・日本人過去最高位) 1999年 アジア選手権韓国ソクチョウ大会 優勝 2000年 ITUワールドカップ石垣島大会 第3位 2000年 世界選手権パース大会 第9位(日本人1位・日本人過去最高位) 2000年 シドニーオリンピック出場 第17位 2001年 日本選手権 優勝 2002年 アジア選手権大会 優勝 2003年 ITUワールドカップ蒲郡大会 第3位 2004年 アテネオリンピック出場 第12位 2004年 日本選手権優勝 2004年 ジャパンランキング 第1位 |