日本オリンピック委員会(JOC)は、1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念祝賀会を、皇太子殿下ご臨席の下、行いました。
祝賀会には1964年東京オリンピックの開会式の選手宣誓を務めた体操競技の小野喬さん、同じく体操競技で団体総合とつり輪で2個の金メダルを獲得した早田卓次さんら1964年大会に出場したオリンピアンが多数出席。海外からは体操競技で金メダルを3個獲得し「名花」とうたわれたベラ・チャスラフスカさん(当時チェコスロバキア)、国際オリンピック委員会(IOC)の関係者ら約850人が集いました。
皇太子殿下の御入場、陸上自衛隊音楽隊による東京オリンピックファンファーレの生演奏に続いて、竹田恆和JOC会長が「(東京オリンピックの)開会式の模様は国民の皆様に勇気や希望を届け、戦後の新しく元気な日本の姿を世界に伝えました。15日間にわたって繰り広げられた熱戦も、またオリンピック史上初のテレビ宇宙中継を通して世界に同時に放送され、まさにオリンピックムーブメントの祭典として世界が一つになりました」とあいさつ。また、各国の選手が一緒になって入場する閉会式のスタイルについて、「閉会式でのお別れは、劇的で観衆のみならず全世界の人々の記憶と心に残るものでした。各国の選手たちは係員の静止を振り切り、入り乱れ、肩を組み一つの大きなうねりとなってトラックになだれ込んできたのです。戦いを終え、互いを尊敬し合い、国籍、人種、民族、文化の違いを超えた選手たちの喜びの笑顔は世界が一つになった頂点のまさにその瞬間でありました。以降、平和の祭典の一つの象徴として、この閉会式のスタイルが各オリンピックでは踏襲されてきております」と、現在の形に至った秘話を明かしました。
続いて、安倍晋三内閣総理大臣は、「(東京)オリンピックで日本人はやればできる、日本も頑張れば世界と肩を並べることができるという自信を共有しました。日本はこの東京で再びオリンピック・パラリンピックを開催する栄誉を得ました。6年後、被災地が東日本大震災からの復興を成し遂げ、街が人々が元気になった姿を世界に発信する。かつて、たそがれを迎えているとまで言われた日本がもう一度、世界の中心で活躍する国として再生する。そして世界に平和と繁栄のために貢献していく強い意志を持つ国の姿を世界に示す。2020年東京オリンピック・パラリンピックはそうした大会にしていきたいと思います」と6年後の自国開催に向けた決意を述べました。
クレッグ・リーディIOC副会長からは、「『この記念祝賀会の成功を願っている』、トーマス・バッハIOC会長のお祝いの言葉を伝えたいと思います。オリンピック史に対する東京大会の貢献は大変に誇りを持って記憶をしています。日本国内と世界各地でスポーツとオリンピック精神の発展にご尽力されていることや夏の大会と冬の大会の両方を開催されたことに日本および、JOCの皆様にお祝いを申し上げたいと思います」と祝辞を頂きました。
祝辞の後、奉祝プログラムとして、「1964東京オリンピック・パラリンピック」が上映され、「オリンピック讃歌」の合唱が行われると、参加者は50年前の記憶がよみがえったようで、懐かしい表情を浮かべていました。
その後、舛添要一東京都知事が「東京大会は多くの日本人にとって戦後の日本の復興の象徴として記憶されています。オリンピックが映し出した未来の新しい時代の到来を感じ取っていました。私は2回目となります東京オリンピック・パラリンピック競技大会を2020年に向かって、そしてさらにその先の未来にも、人々に夢と希望を示すものとしたいと考えております」と、開催都市の代表として2020年大会にかける思いを語りました。
そして、森喜朗一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長からは、「1964年の大会が日本を変えたんです。今度は日本だけではなく、オリンピック・パラリンピックの力で世界に平和と繁栄の変革をもたらすような大会にしたいと私どもは考えております。2020年大会のビジョンの骨子を発表させていただきました。その基本コンセプトの一つとして、未来への継承を掲げました。日本を変えた1964年の大会を2020年、その後の未来の世代にどのように引き継いでいくのか私たちはしっかりと考えなくてはなりません」とオリンピックによってもたらされるさまざまな遺産を継承することの重要性を訴えました。その後に、乾杯の発声が行われ、参加者は50周年を祝うとともに、旧交を温めていました。
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