JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、東京2020オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
見延和靖(フェンシング)
男子エペ団体 金メダル
■日本史上最強チームで挑む
――フェンシングは第1回アテネオリンピックから続いている競技の一つで、歴史伝統がある競技です。さらに、非常に難しいとされているエペで史上初の金メダルを獲得されましたが、どのように感じていらっしゃいますか。
僕自身、個人戦でもワールドカップで日本人初のメダルを獲得しましたし、初というところにこだわりをもってフェンシングを続けてきました。エペという種目は、「キング・オブ・フェンシング」とも言われていて、エペしかやっていない国もあるほど。国際ランキングを見ても、フルーレ、サーブルと比べても出場人数が倍くらいいるんですよね。それだけ強い国がたくさんありますし、そのなかでこのアジアで、そして日本で、しかも自国開催であるこの素晴らしい舞台で金メダルを獲得したのは、フェンシング界においてももちろん、日本のスポーツ界においても大きなインパクトを与えることができたのではないかと思っています。
――歴史的快挙といろいろなところで言われますが、日本人は難しいと思われていたなかで見延選手が全部打破してきて、第一人者としての存在感を示しています。一方で、今大会は途中でリザーブの宇山賢選手が入り、結果的にベンチから応援するという体制になりました。ご自身はどのようなお気持ちで試合をご覧になっていたのかを、ぜひ教えてください。
試合展開は僕も当然想定はしていました。もっと言いますと、前日のミーティングのなかで、あのパターンっていうのはあり得る、という話はコーチを含めたチームのなかでもしていたんです。僕たちは今、日本史上最強のチームだと自負していますけれども、4選手全てが違うスタイルで、個人戦でも結果を出せる実力者ぞろいです。今回は9試合目を全て加納虹輝選手に託しましたけれども、自分のポジションは誰がやってもおかしくない。山田優選手がエースでしたけども、誰がエースを張ってもおかしくないというチーム力とチームワークが僕たちの強みです。
なかでも宇山選手のスタイルは、すごく爆発力があって、この一発がチームの苦境を打破するために、すごく重要な役割を果たしてくれます。それが1試合目にきてしまったので、コーチにとっても苦渋の決断になったとは思います。当然ながら、宇山選手も準備はできていましたし、僕も代わる覚悟はできていました。とはいえ、ベンチに下がったからといってそこで僕の試合が終わりではありません。僕がチームの年長者として闘志を消してしまったら、チームはそれこそ消沈してしまうと思いました。逆にベンチに下がったからこそ、僕は試合に使うべきエネルギー全てを応援に注ぎ込んでチームを鼓舞することを意識しながら、一日を過ごしていました。
――みんながリスペクトし合えたとおっしゃっていたと思うのですが、それと同時に、それぞれの覚悟と勇気を持って挑んだというところは素晴らしかったと感じました。一方で、相手選手たちが負けて本当は悔しいにも関わらず、ずっと日本選手チームが喜びが収まるのを待っていて、最後に「よくやったね」とたたえ合う姿というのが、フェンシングが持っている騎士道精神というか、それこそが本当のオリンピック精神「オリンピズム」を体現していて、オリンピックらしいスポーツだと感じました。そうしたフェンシングの魅力について、見延選手はどのようにお感じになりますか。
もともと貴族のスポーツだったと言われているように、貴族しかできなかったのがフェンシングです。その辺の意識というところは海外選手も持っていると思います。僕も一度イタリアに武者修行に行ったときに、イタリアではサッカーが強くて人気がありますが、所属するクラブチームの人たちにサッカーをしないのか聞いたところ、「僕たちは、大きな人間だから、フェンシングをやるんだ。サッカーは好きだが、サッカーはやらない。フェンシングなんだ」と、そのくらいフェンシングに誇りを持っていました。フェンシングも必ず礼に始まり礼で終わるスポーツですが、騎士道精神を普段の生活のなかでも実践している方が多いと感じています。
――海外には大柄な選手が多いです。私たちからしたら見延選手は十分大きいですが、世界のなかで見れば、日本人選手は比較的小柄ですよね。その中で、お互いがお互いを認め合っているという雰囲気はありますか。
アジア人は小柄ですので、体格差では少し劣ります。大きい選手が圧倒的に有利なので、プレースタイルとしてなめられてしまうところはありますが、そこでも日本をはじめ、韓国や中国なども含めていろいろな国がこの状況を打破してきて、きちんと認め合い称賛するところも出てきました。最後は勝ち負けがつきますけれど、スポーツを通してさまざまな状況を打破していける。これもまたスポーツ、オリンピックの素晴らしさの一つなのかなと思います。
■フェンシングはエペで勝たなきゃいけない
――今大会は1年延期になりました。また、1年後になっても感染は増えていて、大会開催に関する賛否両論がありました。アスリートとしてはどのように感じていたのでしょうか。
1年前には、「オリンピックをやるべきだ」「中止だ」が半々くらいでした。僕はアスリートとしてスポーツに最も近い現場にいてもそれくらい聞こえてきたので、世の中にはもっともっと異なる意見の方が多いんだろうなと思いました。さまざまな職種で制限がかかるなかで、スポーツだけ特別にしようとは一切思いませんし、スポーツはやっぱり余暇という言葉に由来があるように、平穏な暮らしがあった上で成り立つものだと思っています。それが成り立つからこそ、人間らしさを保てる部分でもあるとすごく感じています。
スポーツの現場にいる身としては、オリンピックをやってほしいという声も当然聞きます。今回開会式に参加しまして、開催のためにすごく努力をされ、熱い思いを持って取り組まれた方の思いを感じました。僕は当然出る立場ですからもちろん開催してほしいわけですが、その他にもこれだけ思いを持って開催に尽力してくれている方々がいることを肌で感じられたので、本当に開催して良かったと思っています。
だとしたら、僕もここで全力のプレーで応えたいと思いましたし、その姿を通して日本中、そして世界中の人たちに、心に熱く響くものが届けられたら、という気持ちになりましたね。賛否両論はあると思いますが、僕はスポーツの場にいる身なので、せっかく与えていただいたこの場をしっかりと全うして大成功を収めたいと、そういう気持ちで戦っていました。
――余暇を楽しむ遊びというのがスポーツの本質ですが、その遊びに全力で真剣に向き合うという、裏腹なものと向き合うのがスポーツの良さでもありますよね。そこを本当に体現してくださっていると感じました。太田前会長、そして武井壮新会長の取り組みによって、フェンシングというスポーツが注目される機会が増えてきたと思います。選手としては、どのように見ていらっしゃいますか。
本当にそうですね。10年くらい前だったら「フェンシング」といっても「フェンシングって何?」と言われることがたくさんありました(笑)。僕自身もいちいち説明しなきゃいけなくて、フェンシングをやっていると言いづらい時期もありましたが、そのフェンシングというスポーツを世間に認知させてくれたのは、先駆者となった太田前会長の功績だと思います。ただ、そのなかでも、エペが一番とっつきやすい種目ですし、フェンシングはエペで勝たなきゃいけないといわれます。エペを認知させるのは、次のステップでやるべき僕たちの仕事と宿命であると感じました。それは太田前会長から渡されたバトンだと思っていましたので、今回金メダルをとってそこを達成できて本当に良かったと思います。
――前会長もとれなかった金メダルをとりました。また、新会長を迎えて、フェンシング界がますます注目を集めそうですね。
今回のメダル獲得で、その土壌は固められたと思うので、武井新会長のもと、また何か新しい風を日本フェンシング協会に吹かせて、またエペもいい方向にまた進んでいけるんじゃないかなとすごく期待しています。
(取材日:2021年7月31日)
■プロフィール
見延 和靖(みのべ・かずやす)
1987年7月15日生まれ。福井県生まれ。父の勧めで高校生の時に、フェンシングを始める。フルーレとエペを両立していたが、大学入学後にエペに専念する。15年のワールドカップでは日本男子エペ個人として初の優勝を果たす。翌年のリオデジャネイロオリンピックでは初出場で個人戦6位入賞。その後も国際大会で結果を残し、19年には日本人初の世界ランキング1位となる。21年東京2020オリンピックで、フェンシング史上初となる男子エペ団体の金メダルを獲得に貢献した。NEXUS FENCING CLUB所属。
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