JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、東京2020オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
村上 茉愛(体操/体操競技)
女子種目別ゆか 銅メダル
■成長できたいい1年間
――体操競技はオリンピックの第1回からある伝統の競技の一つです。日本体操界の歴史のなかでも個人としては女子初となるメダルを獲得しました。おめでとうございます。どのようなお気持ちですか。
ありがとうございます。団体としては女子もメダルをとっていることもあって2個目なんですけど、個人種目でとるのが史上初というのは言われるまで知らなかったんです。メダルをとること以上に、歴史を塗り替えることの方がすごいことだと思うので、それはすごくうれしかったですし、その一人目となることができてすごく良かったと思います。
――何事も「初」というのは名前が残りますもんね。本当におめでとうございます。昨日を振り返ってみて、朝からどんな一日を過ごして、最後どんなハッピーを手につかんだのですか。
試合が夜でしたから、午前中はすごく時間が空いていました。もうずっとすごくソワソワしていて、「もう早く終わりたい」というのはずっと思っていました。でも、試合が始まってみたらあっという間で、すぐに自分が演技する順番が来てしまったという感じでした。4種目目の体操をやる時はすごく心拍数も上がってつらいんですけど、「こんなにつらくない演技ってあるのかな」というくらい、パワーもみなぎっているし、この1分半という時間が終わってほしくないなと思っていました。表彰式も、5分とか10分で終わっちゃいますし、「ああ、もっと余韻に浸りたい」と思いながら過ごしていました。本当だったらお客さんがいて、この感動を一緒に味わいたかったんですけど、でも男子選手も含めて仲間たちが応援しに来てくれたので、少しでもそういう人たちと感動を共有できたのはすごくうれしいと思いました。今日という日が終わってほしくないと思うほど幸せな一日でした。
――昨日は寝られたのでしょうか。
いやもう全然。1時間くらいしか寝られなかったです。
――その割にはすごく元気ですね。
寝ていないからじゃないでしょうか(笑)。
――村上選手は声援が大きいと燃えるタイプですか。それとも観客が多いと緊張してしまうタイプですか。
声援はあればあったほうが力に変えられると思っています。
――観客がいたら、もっとすごかったかもしれないですね。
オリンピックとなると緊張に変わってしまうかもしれないですけどね。予選1日目は、無観客を体験したことがなかったので、思うように演技ができなかったのかなと思います。最後の方は試合を何回も重ねていたので、その無観客の空間にも慣れてきました。
――村上選手のコメントの中に世界選手権でのメダリスト以上に、オリンピックのメダリストは特別という話がありました。東京2020オリンピックは今回、1年延期されたこともありましたし、その特別感が増していったと思うのですが、どんな気持ちで受け止めていらっしゃいましたか。とくに1年延期になったことは難しさもある一方で、ケガを治す時間を確保できるという良い面もあったと思います。
はい、本当にそんな感じです。ケガに対して向き合える時間でもありましたし、自分の精神面とも向き合える時間になりました。2020年にオリンピックが開催されていれば、「ああ、もうすぐか」とずっと思っていたんですよね。この銅メダルは4年プラス1年で達成できたこと。ある意味、特別で貴重な体験をしたのだと思いますし、これを乗り越えられたからこそ、今後はもっといろいろなことを乗り越えていけそうな気がしています。
――難しいこともあったけど、ご自身としては成長できたということですね。
もう成長でしかない!(笑) ケガもありましたし、コロナ禍での自粛がありました。体操が3カ月くらいできないという時期はつらかったのですが、それも含めて成長させてもらえるすごくいい期間だったと思います。
――昨日の演技を見ていても、とくに終盤は「笑いが止まらない」というほどの笑顔あふれる演技でした。緊張しているなかで作り笑顔をすることもあるのではないかとは思うのですが、村上選手は見ていて本当に楽しそうだというのが内面からあふれ出てくる感じがしました。
演技に集中していたので、実は記憶がないんですよね。あっという間でしたし、あまり覚えていないのですが、でも1本目の大技・シリバスが決まってから、波に乗ることができました。調子に乗れている自分の体が把握できたから、1分半が自然に楽しく感じられました。昨日は本当に普段の自分の笑顔が出せたと思いますし、本当に楽しかったです。
――自分自身の気持ちが乗っていくかどうかというところが重要なポイントですね。
1分半で自分が決めたプログラムを表現するわけですが、出だしが調子悪いとそのままグダグダといってしまうことも多いです。とくに演技冒頭の入りの部分は全てにおいて大事なのかなとは思います。
■メダルをとりにいくという覚悟
――リオデジャネイロオリンピックの時との違いはありましたか。
リオデジャネイロオリンピックの前から東京2020オリンピックが開催されることは決まっていましたけど、リオデジャネイロ大会の時点では東京のことは全く意識していなかったんですよね。そうした思いだったからこそ、リオデジャネイロ大会の時は妥当な結果だったのかもしれません。「メダルはとれないよね」という感じの演技だったと思います。
東京2020オリンピックを目指すかどうかを考えた時に、体操女子としては年齢的に厳しいかもしれないという思いと、その一方で狙えなくもないという思いが重なり合う年齢でもありました。結果的に、「東京を目指してみよう」と思えましたし、そうした背景も含めて、メダルに対する欲が違ったというのが5年前と今回の大きな差だと思います。人生を生きてきて1回あるだけでも奇跡かもしれないという東京2020オリンピックが無事に開催できて、自分の納得のいく演技ができた。もうこんな経験は二度とできないだろうなと思っています。
――印象的だったのは「覚悟」という言葉が何度も出てきたことです。リオデジャネイロオリンピックの時と今回では、その覚悟が全然違ったということですね。
真逆といってもいいかもしれません。リオデジャネイロ大会の時は、オリンピック選手である自分に十分満足していたのですが、今は出ること以上に「メダルをとりにいく」という目標があったので、本当に向き合う気持ちの強さが違ったと思います。
――世界選手権で勝ったことによって、金メダルをとるというのが言葉だけの目標じゃなく、本気で狙えるようになったことは大きかったかもしれませんね。
大きな自信にはなりましたね。2017年、18年と2回ともメダルをとり、でも19年、20年は試合がなくなりました。それ以後の周りの強さも分からないですし、本番でどんな力関係になっているかも分からなかったです。私が強いんだと思えたのは、その前の結果があったからこそです。この2年間のモチベーションを保てたのも、メダルがとれたという自信があったからでした。それでも自分が代表から外れた2年間で周りのメンバーもすごく強くなってきていると思うし、ジュニアからシニアになって年齢制限が解除されて出場できるようになる選手もいたので、下からどんどん育ってきていると実感しているなかで、ギリギリ食い込めたという感じでした。
――今回のように、メダルがかかっている場面で残りの演技者があと二人、あと一人……という状況になると、つい「失敗してくれないかな」と祈ってしまう自分のなかの悪い心が出てきてしまいそうですね。
自分があまりいい演技ができなくて3番目に入っていて、残り二人を待つという状況であれば、もしかすると何かの可能性があることを願ってしまうということもあるかもしれません。ただ、昨日は、自分の体操人生のなかでも一番良い演技ができたと思っていたくらいだったので、「これで負けても悔いはない」と思っていました。確かにメダルがとれなかった時の悔しさはあるでしょうけど、それは後悔ではないので、もうそれはそれで結果として受け止めようと思っていました。それも覚悟の一つですよね。ひやひやしましたけど、自分の演技を求め続ければ結果はついてくるという気持ちでやっていましたし、昨日に関してはどんな順位でも仕方ないと思っていました。
――そういう気持ちになるのもオリンピックの特別なところですか。
オリンピックは4年に1回しかないので、その1回でメダルをとれなければ、いくら世界選手権でメダルをとったとしても「オリンピックではメダルをとれなかったな」と思ってしまいます。言葉で表すのは難しいのですが、この4年に1回のために全てを捧げるというのがものすごく大変だなと思っています。
――そこにピークを合わせるというピーキングも大変でしょうしね。いろいろなところで聞かれていると思いますが、今回出場できなかった盟友・寺本明日香選手の存在、それからキャプテンという重圧はどのように受け止めていらっしゃいましたか。
寺本選手とは中学生くらいからともに試合をしてきて、いつもそばにいて当たり前の存在でした。年齢も彼女が1個上なので必然的に一緒に代表に入ったら、彼女にキャプテンの役割を任せていました。それが当たり前になっていた自分は、相当助けてもらっていたと思います。私が2019年に代表を外れた時に、明日香がつらそうな思いをしているのを見て、私も実は何かしら役に立てていたんだなと感じられたことがあって、逆にそれはすごくうれしかったんです。
今年も合宿までは彼女と一緒にやっていましたが、実際にはオリンピックの選手村に私1人で入ることになりました。メンバーたちの演技に支障が出ていたのは、気づかないところで自分に問題があったんだと思います。キャプテンは簡単にできるものではないと感じましたし、チームと演技の両方をまとめるというのはすごく大変なことだと思いました。個人種目になった途端、「あとは自分のためだけに演技をすればいい」ということで、今まで通りの自分に戻れたという感じでした。こういうことも、たくさん経験を積んでいかないと分からないものなのでしょうね。
――寺本選手との関係もそうですが、普段から同じ仲間たちと戦うのは体操競技の特徴だと思います。試合に出れば良き対戦者ですが、それぞれがお互いにリスペクトしているという雰囲気が伝わってくるのは体操競技の良いところだと感じました。
トップで戦っている人たちとはそこまで喋ることはしていなくとも、何度も勝ったり負けたりしている仲。私たちも体操の新しい技を覚える上で、強い選手たちの演技を見て学んでいろいろ考えるので尊敬している部分はあります。表彰台に一緒に立っていると、一緒に勝ち抜いてこられて良かったと思うし、他の国同士でもコミュニケーションをとって会話して友達になることもあります。昨日とかもシモーネ(・バイルズ選手/アメリカ)が(アンジェリーナ・)メルニコワ(選手/ROC)のことを応援していたように、他の国の選手を応援していたのがすごく印象的で、自分も他国の選手から応援されるような選手になりたいとすごく思いました。
■アスリートの役に立てる喜び
――競技の垣根を越えてコミュニケーションできるのもオリンピックの魅力の一つだと思います。何か印象的なことはありましたか。
感染症予防の観点から、体操チームは選手村内でも移動するようなことはしていないのですが、陸上競技の桐生祥秀選手など、何回お会いしている人たちにご挨拶できたり、お互いに「頑張ってね」と言い合ったりしました。また、パラリンピックの車いすテニスの国枝慎吾選手が、私が腰の両仙腸関節症のケガをしたことを気にしてくださって、「もうすぐパラリンピックがあるけどどういうリハビリをしていたの?」と公式のインスタグラムで質問してきてくれたのがすごくうれしかったです。他のアスリートの方たちの役に立てる日がきたか……と、自分が知っている情報を少しでも共有できたらうれしいなと思いました。
――村上選手は幼い頃アイドルになりたかったそうですが、村上選手の素晴らしい笑顔と演技を見て憧れる子どもたちが出てくると思います。オリンピックを目指したいと思っている子どもたちにぜひメッセージをお願いいたします。
スポーツを通していろいろな経験をするのはすごく良いことだと思うので、やりたいと思うことはぜひやってみてほしいです。体操に限らずぜひ挑戦してほしいと思うのですが、トップを目指すという視点に変わってくると、ただやりたいだけじゃダメで、いろいろなものを犠牲にしないといけないこともありますよね。でも、原点に戻ると、体操をはじめそのスポーツが好きでないと続けられないと思います。私は「体操が好き」という気持ちは絶対に忘れないし、体操はもちろん、どんなスポーツでも「好き」という気持ちを大切にして、スポーツを続けていってほしいと思います。
――オリンピックの開催には賛否両論がありました。体操の楽しさを本当に体現されているから、それが伝わって少しでも「スポーツって良いね」と思ってくれる人たちが増えるといいですね。
女子の体操競技では、平均台とゆかに振り付けがあります。みんな違う個性を表現できるというのが特徴の一つです。もし体操をやってみたいって思う女の子には、好きな曲を使って好きなダンスを踊るという楽しみもぜひ経験してほしいと思います。
――今の時代にも合っていますよね。個性をみんなで認めていこうという意味でも体操競技はすごく良いかもしれないですね。
表現面でも採点の基準が変わってきて、人に見てもらうというところが体操の特徴になっているので、ぜひそこを追求していってほしいと思います。
――素敵な話を、そして、素敵な演技をありがとうございました。おめでとうございます。
ありがとうございました。
(取材日:2021年8月3日)
■プロフィール
村上 茉愛(むらかみ・まい)
1996年8月5日生まれ。神奈川県出身。4歳の時に母のすすめで体操競技を始める。2016年リオデジャネイロオリンピック体操競技女子団体総合4位入賞。17年の世界選手権では、種目別ゆかで63年ぶりの優勝を果たす。18年の世界選手権では、個人総合で日本初の銀メダルを獲得。21年東京2020オリンピックでは女子種目別ゆかで銅メダルを獲得、個人総合、団体総合ともに5位入賞。同年10月に現役引退を発表した。日体クラブ所属。
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