JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、北京2022冬季オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
村瀬 心椛(スキー/スノーボード)
女子ビッグエア 銅メダル
■スノボの魅力を広めたい!
――女子としてこの種目初のメダル。そして、17歳3カ月でのメダル獲得は浅田真央さんを上回る冬季オリンピックTEAM JAPAN女子最年少記録となりました。率直な感想をお聞かせください。
本当にすごくうれしいですし、感謝しています。もともと最年少ということもあまり気にしていなかったのですが、3位となり銅メダルが決まった瞬間、インタビューのタイミングで女子最年少メダリストであることを教えてもらって、その時に初めて知りました。すごくびっくりして本当にすごくうれしかったです。
――反響も大きいと思いますが、メダル獲得の前後で変化を感じることはありますか。
スキー・スノーボードのスロープスタイルやビッグエアという種目はあまり知られていなかったと思うのですが、メダルをとった後に「スロープスタイルもビッグエアも大好きになりました」といった温かいメッセージをたくさんいただきました。こうやってメダルをとることで、自分が取り組んでいる種目を日本中の皆さんに広めることができて本当によかったとすごく実感しました。
――4年前にX Gamesで最年少優勝を果たした時もすごく大きなニュースになったと思うんですけどそこと比較してもまた、さらに反響は大きいですか。
そうですね。X Gamesという存在そのものが日本の方々にまだ知られていないと思うので、自分がビックエアのX Gamesで優勝して最年少で金メダルとなっても、まだあまり知られてないなというのはすごくありました。それに対して、オリンピックは本当に皆さん誰もが知っています。だからこそ、ここで成績を残して、自分が取り組んでいる種目を絶対に広めたいと思っていたので、それがかなえられて本当に良かったと思います。
――X Gamesで勝った後、大ケガもありました。リハビリ、恐怖心の克服など、いろいろと乗り越えなくてはならない壁があったともいます。どのように乗り越えてきたのでしょうか。
中学2年の時にアメリカで大ケガをしてしまいました。親がいない時だったのですが、その日にすぐ手術ということになり、本当に怖かったです。私がケガの療養をしている間も、周囲のみんなは変わらず練習しているので、それも本当に悔しくて。ケガをすぐに治して、大会にまたすぐ戻りたい、スノーボードを滑りたいという気持ちが本当に強かったです。復帰して2年ほどたつのですが、今でもまだ痛みがあります。競技をしている間は、特にすごく痛むんですね。でも、それも気にならないくらい、今、本当にスノーボードが楽しいんです。ケガをして、勉強になったこともたくさんあります。スノーボードの大切さや楽しさを、あらためて教えてもらえた期間だったのかもしれません。
■ライバルたちからの刺激
――試合を振り返ってください。スロープスタイルでは予選を2位通過しましたが、その時は、残念ながらメダル獲得とはなりませんでした。ビッグエアも予選を2位で通過したわけですが、決勝に向けてどのような気持ちだったのでしょうか。
スロープスタイルでは2位で予選を通過したのに、決勝では10位になってしまったので、本当に悔しかったです。結果を受け止め切れず、自分が10位であることに涙も出なかったのですが、その後、家族と話している内に一気に涙があふれてきてしまいました。スロープスタイルでは、今まで練習してきたことが出せなかったのがすごく悔しかったです。
ビッグエアでは、その思いをぶつけて絶対にメダルを獲得して笑顔で日本に帰ることを目標にしました。ここは絶対にメダルをとらないとダメだなと……、家族と電話したり、友達と連絡をとったりして気持ちを切り替えました。
――決勝では1本目が80点、2本目は91.50点と本当に良い得点が出ました。その時のお気持ちはいかがでしたか。
1本目のバックサイド側は、自分の中ではスピードが出なくて困っていました。予選の時は飛距離がめちゃくちゃ出て85点だったのですが、決勝では飛距離が出なくて80点という点数になってしまいました。ダメだったとは思うのですが、フロントサイド側はボードが走ってスピードが出たので、めちゃくちゃ飛んで高さのあるスタイルのあるかっこいいものになったと思います。高得点を出したいと思っていてそれができたので、そこは本当に良かったです。今までの中で一番綺麗に飛べたと思います。
――そして、3回目もすごいチャレンジでした。実際に3位と決まり、どのような気持ちになりましたか。
私の直前に滑った岩渕麗楽選手の3本目がゲレンデの下ですごく盛り上がっているのを見て、てっきり技が決まったものと思い込んでいました。自分の順位が4位に落ちてしまったと思いながら滑り出したんです。いつも通り、高難度の技を出せばいい。「自分はできる」と思いながら滑ったのですが、飛距離が出ず、スピードもなくて、残念なジャンプでした。公開練習ではその技が決まっていたので、余計に悔しくて。ですから、3本目を滑り終えた後も自分が3位だと気づいてなくてコースから出ようとしたんです。するとそこで「あなた3位よ」と教えられて。あまりにうれしすぎて号泣してしまいました。
――そういうことだったのですね。スタート地点にいる村瀬選手から、岩渕選手の技はどのように見えていたのでしょうか。
麗楽ちゃんがスタート台に立ってドロップした瞬間は、まだ自分の出番ではないため、壁の後ろにいて見えなかったんです。テレビモニターもそこにはありませんから、前の選手の滑りは全く見えないんですよね。
私は、体をたたいたり音楽を聴いたりしながら気持ちをリラックスさせて、本当に集中してスタート台に立っていました。麗楽ちゃんは「フロントサイド・トリプルアンダーフリップ1260」をやると言っていましたし、スタート台の上に立った時、下ですごく騒いでいることは分かったので、自分は技が決まったものと思ったわけです。それで、自分は3位から落ちてしまったのだと思って、コーチにも、「やばい、やばい」とずっと言っていたらしく(笑)。
あらためて、他の選手たちの攻めっぷりが本当にかっこいいなと思っていました。
――鬼塚雅選手のチャレンジはどのようにご覧になっていたのでしょうか。
最初の1本目からチャレンジするのがすごく素晴らしいと思いました。私も最高難度の技が「バックサイド1260」なので、本当は1本目にその技を決めたかったのですが、スピードが足りずになかなか立てない難しい状況でした。1本目で確実に決めて、2本目で気持ちをつなぎ、3本目で攻めるという選択をしたいと思ったので、私は1本目にバックサイド・ダブルコーク1080を選択しました。
――金メダルを獲得したアナ・ガサー選手、銀メダルを獲得したゾイ・サドフスキシノット選手というライバルたちも見事なジャンプを見せてくれました。この種目で連覇達成したガサー選手、スロープスタイル金メダルに続く2個目のメダル獲得となったゾイ選手。2人のライバルのジャンプをどう見ていましたか。
本当に、アナ・ガサーもゾイもかっこよかったです。ゾイは安定感がすごいと思っていて、大会に出るたび表彰台に必ず上がっている感じなので、本当に尊敬しています。今日もインスタグラムで連絡がきたんですけど、「あなたを誇りに思うよ。一番の存在だと思っている」という感じで連絡をくれました。自分も、本当にゾイが海外選手の中で一番仲が良くすごい選手だと思いますし、4年前のオリンピックで金メダルをとったアナ・ガサーも、今回連覇ということで本当にすごいと思いました。
■日本中の皆さんの笑顔が見たい
――昨年の東京2020オリンピック、スケートボード女子パーク決勝で、選手皆さんが岡本碧優選手を抱き上げたシーンは印象的でした。岩渕選手のチャレンジをたたえる雰囲気は、その時に通じるような感じがありましたよね。ライバル同士であっても、それぞれがスノーボードを愛する仲間として認め合うというのがすてきだと感じた人は多かったと思います。村瀬選手はその点どのように感じていますか。
横乗り系の競技というのでしょうか、スノボの場合も「みんなで頑張っていこう」という雰囲気がありますよね。一人だけでここに来られているわけではないので、自分もみんなとたたえ合いながら競技をしていますし、したいと思っています。最後はハグしたり、抱き合ったりします。今回も、アナ・ガサーが本当に素晴らしい演技をしていたので、真っ先に彼女のところに駆け寄って「本当におめでとう」という気持ちを心の底から伝えました。他の競技とは少し違うそういう面が見せられたことは、皆さんにとっても良かったのかもしれませんね。
――高校の先輩に当たる堀島行真選手も銅メダルを獲得しましたね。
堀島行真選手とは、今回直接会うことはできなかったのですが、2、3年前に練習会場や地元・岐阜での表彰式で会ったことがあります。ワールドカップでも本当にすごい成績を残していましたし、オリンピックでも絶対にメダルをとるのではないかと思っていました。岐阜の皆さんは二人でメダルをとってほしいという気持ちがあると思い、正直なところプレッシャーに感じる面もありました(笑)。スロープスタイルではダメだったので、「これはヤバい」という気持ちになった時もありましたが、周りのメッセージや家族に支えられてこのメダルがとれたので、本当に良かったと思います。
――他の競技・種目や選手からも刺激を受けましたか。
スノーボードのハーフパイプですね。平野歩夢選手や冨田せな選手は、兄弟姉妹で出ていて、本当にすごいなと思っていました。私も妹がいるので、4年後は一緒に出たいなと思います。
――妹の由徠選手は、心椛選手から見てどのような存在ですか。
一番のライバルだと思っています。由徠とは、幼い頃からずっと一緒に練習してきましたが、教え合ったり、たたえ合ったりしてきた最も身近な存在です。何があっても相談できる関係です。
――村瀬家の皆さんからは、ご家族の仲の良さがすごく伝わってきますよね。どんな話をされたのでしょうか。
はい。めちゃくちゃ仲良いと思います(笑)。部屋に着いてテレビ電話をしながら「メダルとったよー!」と叫んでしまいました。みんなも「今まで頑張ってきて本当に良かったね!」と言ってくれました。たくさんのサポートをしてくれた父、母、妹など、家族には「本当にありがとう」という気持ちで、恩返しができたかなと思います。
――最高の家族孝行ですよね。村瀬選手が思う、スノーボードが他の競技と違う魅力はどんなところですか。
スノーボードは「ウェーイ!」というノリですし、技が決まったら「ヒャー!」といってみんなで一緒に喜ぶといった雰囲気があります。楽しさ、かっこよさを見せられる競技だと思っているので、そういうところが他の競技とは違うのかなと思います。
特に、浜田海人選手はコメントも最高ですし、スロープスタイルの試合で、誰もやっていないような技を繰り出しました。スノーボードの楽しさ、かっこよさ、これが本当のスノーボードというのを見せると言っていましたが、まさにその通りだなと思って見ていました。
――あらためて、初出場のオリンピックをどんなふうに振り返りますか。
北京2022冬季オリンピックの舞台で日の丸を背負って戦い、日本中の皆さんの笑顔が見たいと思って本当に頑張ってきました。結果的に、冬季オリンピックではTEAM JAPAN史上女子最年少となるメダル獲得が実現できたことを、心からうれしく思っています。
――おめでとうございました。ありがとうございます。
ありがとうございました。
■プロフィール
村瀬 心椛(むらせ・ここも)
2004年11月7日生まれ。岐阜県出身。
4歳の時に、両親の影響でスノーボードを始める。15年に小学4年でプロ資格を取得。18年にはX gamesのビッグエアで史上最年少優勝を果たす。同年の世界ジュニア選手権でスロープスタイルとビッグエアの2冠を獲得。21年10月にはワールドカップのビッグエア開幕戦で初優勝する。北京2022冬季オリンピックでは女子ビッグエアで銅メダルを獲得し、冬季オリンピックにおいて日本女子史上最年少メダリストとなった。ムラサキスポーツ所属。
(取材日:2022年2月16日)
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