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2024.05.24 キャリア支援

JOCの就職支援「アスナビ」:企業説明会を実施

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登壇してプレゼンを行った5選手(写真:フォート・キシモト)

 日本オリンピック委員会(JOC)は4月17日、味の素ナショナルトレーニングセンターウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。

 アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまで227社/団体394名(2024年4月17日時点)の採用が決まりました。今回の説明会ではJOC主催のもと、9社13名が参加しました。

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柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクター(写真:フォート・キシモト)

 最初に主催者を代表して柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビ説明会に参加した企業に対する感謝の言葉を述べました。続けて、「TEAM JAPANは選手や選手団のみではなく、それを支えるステークホルダーの皆様全ての総称です。そういう意味では、雇用という側面から支えていただいている皆様も、TEAM JAPANの一員という形になります。引き続き、アスナビの活動を通してご支援をいただきたいと思っております」と、参加企業にアスリート採用を呼びかけました。

 挨拶に続き、柴JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要を、スライド資料をもとに紹介。アスナビが無料職業紹介事業であることや登録するトップアスリートの概略のほか、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポートなどを説明しました。

 その後、就職希望アスリート5名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介やスピーチで、自身をアピールしました。

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五十嵐晴冬選手(写真:フォート・キシモト)

■五十嵐晴冬選手(スキー/フリースタイル(エアリアル))

「私は2026年のオリンピックへの出場、そして2034年のオリンピックでの金メダル獲得を目標に競技を続けています。エアリアルは、国内ではあまり発展しておらず、競技人口も練習場所も少ないのが現状です。そのため、1年の半分以上を海外への遠征や試合に費やしており、経済的にも肉体的にも決して楽ではない環境で競技を続けています。しかし、そんな環境だからこそ、私にしかできない経験をたくさん重ねてきました。その中でも特に印象に残っているのは、6年前にスイスに行った人生で初めての海外遠征です。建物や環境、何もかもが日本とは違い、心が躍ったことを覚えています。しかしその反面、当時の私は英語をほとんど話すことができず、言語の壁に対する大きな不安がありました。そのような中、同じホテルに泊まっていたスイス人選手がゲームをしようと誘ってくれました。私はそのゲームをするのは初めてで、苦手な英語での説明を聞いてもあまり理解できずにいたのですが、彼は私が理解するまで何度も丁寧に説明してくれました。そのような経緯から彼との間に絆が芽生え、仲の良いライバルという関係が今でも続いています。この経験を通して、私にとって学校で習う一教科に過ぎなかった英語が、コミュニケーションツールへと変わりました。それから英語にも少しずつ興味を持ち始め、今では日常会話もできるレベルへとなりました。エアリアル競技は選手同士の交流が盛んで、競技以外の時間を共にすることも多いです。その中で、自分とは異なる考え方や価値観を肌で感じることで、多様性への理解を深めることもできました。繰り返しになりますが、私の目標は2034年のオリンピックで金メダルを獲得することです。それは長く険しい道になるかもしれません。しかし、困難を乗り越えて得た成長は何も変えがたい、この言葉を胸に楽しみながら成長を続けていきます。私が壁を乗り越えていく姿を通して、世界中の人々にスポーツの素晴らしさと困難を乗り越えていく楽しさを伝えたいと思っています。皆様の企業にご採用いただきましたら、競技者としての目標を叶えるとともに、会社を活気づけるような貢献をしたいと考えています。私の活躍を社員の皆様にお届けすることで、自分も頑張ろうと思っていただけるような、人が頑張るきっかけを作ることができる人間を目指します。競技引退後は、それまでの経験から培った価値観や見識を活用し、競技と同等以上に仕事に対しても情熱と向学心を持って向き合ってまいります」

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石田唯選手(写真:フォート・キシモト)

■石田唯選手(自転車/マウンテンバイク・ロード)

「私は、自然豊かな町である京都府の美山町で生まれ育ちました。私が競技用の自転車に初めて乗ったのは小学校2年生の頃です。風を切って進むスピード感や、自分の足で遠いところまで行けるという自転車ならではの魅力に引き込まれていきました。高校は地元の自転車競技部の強豪校に進学し、本格的に自転車競技に打ち込みました。努力すればそれだけ結果が伴う自転車競技に夢中になり、負けたくないという思いで必死に男子選手の背中を追いかける毎日でした。その結果、トラック種目でのインターハイ2連覇、シクロクロス種目での世界選手権出場など、より高いレベルのレースを経験することができ、世界で戦える選手になりたい、オリンピック選手になりたいという思いが強くなっていきました。その後、早稲田大学のスポーツ科学部に進学し、選手活動だけではなく、学業や教職課程、アルバイトにも並行して取り組みました。私は限られた時間の中で、どうすれば安全に確実に練習の質を上げられるかを試行錯誤し、日本一になるという目標を一つ一つ達成してきました。昨シーズンはロード種目とマウンテンバイク種目で日本チャンピオンになることができましたが、レースの結果以上に、そのプロセスを通じて培った継続力、分析力、解決力が私の強みです。私は、自然の中のオフロードを舞台にレースを行うマウンテンバイクのクロスカントリー種目で、ロサンゼルス2028大会への出場を目指しています。この競技は、歩くのも困難な岩場を進むロックセクションや派手なジャンプセクション、そして登山道のような厳しい登りなど、様々な要素が組み合わされた特設コースを周回し、順位を競います。私にとってのマウンテンバイクの一番の魅力は、自然を身近に感じ、自然と触れ合うことができるところです。近年、環境問題やSDGsなどについて考える機会が多くなっていますが、私は山を使わせていただいているマウンテンバイク選手として、自然環境を守るために何ができるかを問い続ける使命があると考えています。そして、豊かな自然を守り、清らかな川や美しい山とともにこれからもずっと過ごせるように、私ができることを実行していこうと思います。また、これまでの競技生活で得た経験と、スポーツ科学の知識を生かして、健康な社会作りに貢献したいと考えています。そして社員の皆様とともに、いつまでも健康でいられる環境を作っていきたいと考えています。もしご採用いただけましたら、私の強みである継続力、分析力、解決力を生かし、どのような業務も粘り強く遂行し、社会と会社に貢献できるよう一生懸命取り組みます。また、アスリート社員として、会社の新たな活力となり、皆様の士気を上げられる存在になれるように、自分史上最高を更新し続けていきます」

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林祥蓮選手(写真:フォート・キシモト)

■林祥蓮選手(フェンシング/フルーレ)

「私は4歳のときに幼稚園の先生から誘われて剣道を始め、小学3年のときには地元の鹿児島県大会で優勝する実力がありました。そんな私が小学5年生からフェンシングを始めたきっかけは、ロンドン2012大会でフルーレ団体が銀メダルを獲得した試合を観たからです。スピード感や激しい攻防に魅力を感じ、1歳上の兄と共に練習を始めました。そのとき、オリンピックの舞台に立ち、メダルを獲得したいという夢を抱きました。しかし当時住んでいた地域にはフェンシングクラブがなく、月2回、2時間かけて鹿児島市内にあるジュニア教室に通っていました。月2回の練習ではオリンピックでのメダル獲得は叶わない、毎日練習がしたいと思い、兄と共に親を説得して家族で鹿児島市内に移住しました。中学生ではジュニア教室でのコーチとの練習で力をつけ、県大会や九州大会で表彰台に立つことができるレベルになりました。その後、そのコーチのいる高校へと進学し、普段の練習に加え、コーチとの1対1の技術練習を毎日続けることによって、技のレパートリー増加や精度向上に取り組みました。その成果が表れたのは高校1年生の夏で、U-17の全国大会で2位になり、冬のJOCジュニアオリンピックカップでは優勝することができました。そしてU-17の日本代表に選出され、世界選手権にも出場しましたが、初めての国際大会で経験がなかったこともあり、自分のプレーができず、相手のペースとなり、結果を残すことはできませんでした。海外選手のレベルの高さや、体格差を肌に実感しました。この体格差を克服するためにフィジカルトレーニングに励み、技術面では技のレパートリーをさらに増やし、外国人選手を想定した練習に取り組みました。大学生になると、国際大会にも慣れてきて、外国人選手への順応性も高まり、技が決まるようになりました。ワールドカップでは決勝トーナメントに残ることも増えてきました。今後は4年後のロサンゼルス2028大会でのメダル獲得に向けて、技術面もフィジカル面も夢に向かって邁進していきます。そして、私がロンドン2012大会を見てフェンシングを始めたように、私を見た子供たちがオリンピックに出たいと思えるような、憧れを持ってもらえる選手を目指します。皆様の企業にご採用いただけましたら、私が競技で活躍する姿によって、社員の皆様に活気をもたらし、社内の一体感醸成に貢献してまいります。業務では、新しいことに臆せず挑戦し、自己研鑽に励んで参ります」

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富沢くるみ選手(写真:フォート・キシモト)

■富沢くるみ選手(カヌー/スラローム)

「私の夢はロサンゼルス2028大会での金メダル獲得です。私の強みは、高い目標を掲げ、その目標に向かって挑戦していく力です。私がカヌーに出会ったのは大学生になってからです。子供の頃から自然が大好きで、自然の中で体を動かすことができるカヌーに出会い、その魅力に取りつかれました。大学卒業後は就職し、フルタイムで働きながらカヌーを続けていましたが、もっと本格的に取り組んでみたいという想いを断ち切ることができず、カヌーに専念できる今の所属に移りました。競技を始めたのが遅い私に今から結果を出していけるのかという不安もありましたが、カヌーでどこまでいけるか挑戦してみたいという想いで一歩踏み出しました。2021年から競技に本格的に取り組み、国体で10位ぐらいのところから、2022年の栃木国体では準優勝になるまでに競技力を上げることができました。そして次は、世界一という目標を立てました。世界で戦うには、まず日本代表選考会で3位以内になることが必須になります。昨年私は、競技力を高めるために4月の選考会前にオーストラリア遠征に行きたいと考えました。しかし、アルバイトだけでは遠征費用を賄うことができず、私はクラウドファンディングに挑戦することにしました。まだ日本代表でもない私に厳しいお声をいただくこともありましたが、それ以上にたくさんの方に応援していただきました。そのおかげで、私は無事にオーストラリア遠征に行くことができ、トレーニングを積むことができました。代表選考会では、応援してくださった人たちの名前を入れた旗を作り、一緒に戦う気持ちでレースに臨みました。結果は4位で世界選手権出場にはあと一歩およびませんでしたが、初めて日本代表チームに入ることができました。この経験は、私を人間力、競技力共に一歩成長させてくれたと思っています。今後は、ロサンゼルス2028大会での金メダル獲得を目標に、2026年ワールドカップでのメダル獲得、2027年世界選手権でのメダル獲得をステップの目標として、より一層努力を重ね、挑戦し続けて参ります。このように、私は高い目標を掲げ、その目標に向かって飛び込み、挑戦しています。企業の皆様にご採用いただけましたら、この高い目標を掲げ挑戦していくという力を発揮して、どのような仕事でも全力で取り組んでまいります。また、社員の皆様にも活力や勇気、感動を届けられるように、競技の結果を出していくだけではなく、発信活動や様々なことに挑戦し、人間力も磨いてまいります」

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佐藤聖悟選手(写真:フォート・キシモト)

■佐藤聖悟選手(スキー/スノーボード(スノーボードクロス))

「私は6歳の頃に、元プロスノーボーダーの父親の影響でスノーボードを始めました。12歳のときに競技を始め、勝負の世界を知りました。そこで元から負けず嫌いだった性格もあり、優勝への強いこだわりが生まれてきました。15歳のときに選考レースで優勝して、ナショナルチーム入りを果たしました。そのときに、もっと世界の大会で勝ちたい、トップの大会に出場したいという想いが強くなり、オリンピックでメダルを獲得するという大きな目標ができました。私は本当にスノーボードが大好きで、小さい頃から現在でも滑っている時間が一番楽しいのですが、16歳から4年間は全く優勝できない期間が続きました。この4年間は非常に辛かったです。しかし、どうやったら勝てるかを自分で考え、実際に海外遠征を自分で組み、自分の力で海外遠征に行き、また、自分に合ったトレーニングは何かを考える中で、トレーナーに直接お願いしてトレーニングのサポートなどをしていただき、自分の練習環境をより良いものへと変えていきました。私はスキー連盟のコーチに『聖悟の真剣な思いは、周りの人を巻き込む力がある』と言われたことがあります。周りの方々が期待してくれる、その期待に絶対に応えたいという強い気持ちが、私の成長に繋がってきたのではないかと思っています。優勝できなかった4年間ではありますが、毎日全力で練習して、国内外のトップ選手との差を少しずつ縮めていき、20歳のときには全日本選手権で優勝することができました。本当に辛い4年間でしたが、自分自身を本当に強くしてくれたと思っています。また、私の競技人生で非常に大切にしていることがあります。それは子供たちへの指導です。私が所属しているスノーボードスクールには世界を目指す子供たちがたくさんいます。その子供たちにスノーボードを教えることで、自分のスノーボードへの理解も深まりますし、大会に出場したときにはその子供たちが応援してくれます。中には、今年レベルの高い大会に出場する子供たちもいます。そういった次世代のエネルギーが、私の力になっているのではないかと思っています。そんな子供たちのためにも、また応援してくださる周囲の方々のためにも、私は絶対にオリンピックに行き、メダルを獲得したいと思っています。皆様の企業にご採用いただきましたら、これまで培ってきた忍耐力、精神力をいかんなく発揮し、毎日の仕事にも全力で取り組んでいきたいと考えております。また、私の活躍や毎日本気で頑張る姿を通して、スポーツで日本を元気にし、会社のイメージアップにも貢献したいと考えております」

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宇山賢氏(写真:フォート・キシモト)

 続いて、アスナビを通じて企業に採用され、東京2020大会ではフェンシング男子エペ団体で金メダルを獲得した宇山賢氏が登壇し、自身の体験談やメッセージを話しました。
 宇山氏はまず、フェンシングを辞める覚悟で別の企業から総合職で内定を頂いたこと、その翌月に東京2020大会の開催が決定したこと、オリンピックに出るという夢を諦めきれずに悩んだことなど、自身の経験を語りました。そして、その後アスナビを通してメーカーに採用していただき、事前に企業側と相談していたことで競技に打ち込める時間や金銭的な補償についても不安が解消され、東京2020大会出場に向けて全力を注ぐことができ、同大会への出場、そして金メダルを獲得することができたと話しました。

 東京2020大会後に競技を引退し、メーカーの宣伝部で勤務していた宇山氏でしたが、スポーツ関連の仕事が増えてきたためメーカーの業務と両立することが難しくなったこともあり、改めて自身のキャリアについて考えたと語りました。社内の方とも相談した上、大学院に進学してスポーツの専門性を高めるためにメーカーからの退社を決めた際には「将来スポーツのプロフェッショナルとして有識者として関われるようになったら、正々堂々と一緒にお仕事をしましょう」と前向きに背中を押していただけたとのことでした。
 最後に登壇アスリートに向けて「競技自体に興味がある方や皆さんの結果に興味を持つ方もいますが、採用される方は基本的には皆さんの人柄を見ます。うちの会社に合っているだろうか、企業として競技のサポートをするのに値する人間だろうかということをシビアに見られる方が多くいらっしゃると思います。この後交流会があると思いますが、企業の方と目が合ったら『名刺交換させてください』『興味を持っていただきありがとうございます』とお声がけするなど、アスリートの方から一歩目を踏み出してください」とメッセージを送りました。

 説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。

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