パリ2024オリンピックのレスリング・男子グレコローマンスタイル77kg級で金メダルを獲得した日下尚選手、レスリング・女子フリースタイル50kg級で銅メダルを獲得した須﨑優衣選手が8月8日、記者会見を行い、競技終了から一夜明けての心境を語りました。
会見の冒頭、選手の前に置かれた輪島塗のタンブラーの紹介がありました。石川県輪島漆器商工業協同組合よりご協力いただき、今年1月1日の能登半島地震をパリで戦っているメダリストも忘れず、被災された方々も一緒に頑張ろうというメッセージが発信できたらという思いで用意されました。
■須﨑選手「この銅メダルを価値のあるものにしていきたい」
――一夜明けた感想をお願いします。
日下選手 昨日は現実かどうかが分からなかったのですが、ようやく実感が湧いてきて本当によかったなという感じです。反響が大きすぎて、普段あまりこのような経験がないので、人間って反響が大きすぎるとちょっとフリーズしてしまうのだなと思いました。
須﨑選手 私はこの3年間、パリ2024オリンピックで金メダルを獲得することだけを考えて生きました。結果としては悔しい結果になってしまいましたが、新たに4年後のロサンゼルス2028オリンピック、その先のブリスベン2032オリンピックで絶対金メダルを獲得すると強く自分と約束できたので、本当にかけがえのないパリ2024オリンピックになったと思います。
――(日下選手への質問)昨日の会見では金メダルと共に寝るとのお話でしたが、実際に寝られましたか?
日下選手 自分の枕元に置いて一緒に寝ました。
――寝心地はいかがでしたか?
日下選手 最高でしたね。
――金メダルを見て、どのような思いが湧きましたか?
日下選手 本当に自分のものなのだなと思いました。重みというか本当にこれが自分の手元にあるのだということを確認できました。
――終わってからご家族やチームメートと会話はされましたか?
日下選手 家族には直接会えていないのですが、選手村に帰ったときに、相部屋のレスリングの他の男子選手に、「おめでとう」「よくやったな」と言ってもらいました。1日前に優勝した文田健一郎先輩たちとずっと話をして、2人でグレコローマンの40年ぶりの金メダル獲得という歴史を作れたことを、素直に良かったなという会話をしました。
――改めて今回のオリンピックを振り返って、どのようなオリンピックでしたか?
日下選手 一言で言うなら最高というその一言しかないのですが、自分の名前は高橋尚子選手から「尚」という名前が取られていて、オリンピックに行けと言われて育ったわけではないですが、どこかでオリンピックという思いがずっとあったので、いざ自分がこうやって金メダルを獲得して高橋尚子さんのように「最高に楽しい6分間」というのを言えたことは本当に幸せ者だなと思います。
――海外勢からのマークがきつくなると思いますが、今後どのようにお考えですか?
日下選手 自分のスタイルをずっと変えず、対策をされてもそれを上回るようなレスリングをしていきたいと思います。東京2020オリンピックは屋比久翔平先輩が3位になって、周りには屋比久がまた行くだろうみたいな雰囲気があり、その中で自分が出場することが出来たので、自分も安定した立場ではないということを常に自分に言い聞かせて、より一層進化した自分になりたいなと思います。
――須﨑選手の試合前に声をかけられたとお聞きしましたが、どのような言葉をかけましたか?
日下選手 興奮してあまり覚えていませんが、「頑張ってください」と言いました。憧れの選手というか、レスリング界をずっと引っ張ってくれた選手で、頑張ってほしいと言うのも本当におこがましいですけど、例え負けても魅力のある選手で自分の憧れの存在なので、須﨑さんにはどんどん自分を引っ張ってもらいたいと思います。
――(須﨑選手への質問)日下選手から声をかけられてどんな思いでしたか?
須﨑選手 三位決定戦の前に日下選手が金メダルを獲得する姿を見て本当に勇気をもらいましたし、私も絶対勝って終わりたいと思うことができました。確か「先輩やってください」と言ってもらったのですけど、本当にパワーをもらって、その言葉のおかげで私も力強く、またマットに立って戦うことができたと思います。
――表彰式で銅メダルを見つめる姿が印象的でしたが、どのような心境でしたか?
須﨑選手 金メダルが欲しかったなという気持ちで見ていたのですけが、銅メダルがあってよかったと思える日が来るまでまた頑張り続けようと改めて強く思い、4年後8年後あと2回オリンピックチャンピオンになって、この銅メダルを価値のあるものにしていきたいなと思いました。
――様々な声が支えになったと思われますが、周囲からの声はどうでしたか?
須﨑選手 初戦で敗退してしまってから気持ちを立て直すことがすごく難しい2日間でしたが、多くの方々から励ましの言葉をいただき、負けたのにも関わらず私のことを応援・信じてくれて、世界中のファンの皆さんやそういった方々のメッセージが私の背中を押してくれました。1日目は皆さんのメッセージを見ながら一晩中泣いていたのですがそれが力に変わり、負けたにもかかわらず応援してくれる人たちがいる限り私も諦められないし、そういう人たちのためにもう一度オリンピックチャンピオンになった姿を見てもらうまで頑張ろう、と気持ちを切り替えることができました。私の背中を押して励ましのメッセージを送ってくれた世界中の皆さんに、本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。
――今回の経験は須﨑さんにとってどのような経験になりましたか?
須﨑選手 この経験は本当に悔しい経験なので、必ずこの経験があってよかったと思える日が来るまで、本当に頑張り続けようというふうに思います。
――落ち着いたらやりたいことはありますか?
日下選手 ずっとレスリングをやってきて、遊んでいるときや食事をしているときもレスリングのことばかり考えていたので、自分に休暇をあげたいなと思います。海外にも試合でしか行ったことがないので、海外旅行に行ったり日本の様々な場所に旅行に行ったり、普段できないことをたくさんしたいと思います。
須﨑選手 私は日本に帰ったらすぐに練習がしたいです。
――昨夜の過ごし方を教えてください。
日下選手 (会見等があり)帰りが遅くなったのですが、文田健一郎先輩と同時刻帯に帰ってきたので、2人で日本から持ってきた食事を食べながら「良かったな」ということを話し合いながら、しばらく余韻に浸っていました。
須﨑選手 私はたくさんのメッセージが届いていたので、メッセージを一つ一つ読ませてもらっていました。
――(須﨑選手への質問)ビネシュ選手がSNSで引退を表明するようなコメントをされていましたが、それを受けて感じることはありますか?
須﨑選手 決勝戦まで上がって最後計量を通過できなかったというのは、これほど悔しいことはないと思うので、なんて声をかけてあげられるのかは分からないですが、女子レスリングを引っ張ってきた偉大なレスラーの1人なので私はリスペクトを持っています。
――祝福や労いのメッセージも多かったと思いますが、オリンピック・スポーツの持つ力についてどう感じていますか?
日下選手 初めてこのような反響のあることに遭遇してしまって、してしまってと言うのもおかしいですが、応援メッセージの連絡はまだすべてに返信できてはいないのですが本当に嬉しいです。僕自身オリンピックを目指してきて、このパリ2024オリンピックでオリンピックっていうものに魅せられていますし、オリンピックを目指すということは人生をかけるだけの価値があるものだなと再認識しました。
須﨑選手 オリンピックはどの大会よりもたくさんの方々が注目してくれて、世界中の方々が注目してレスリングも見てくださる機会です。少しでも私の戦う姿で勇気や感動をお届けできたら良かったのですが、今回はそれをお届けすることができなかったので、4年後、また再びこのオリンピックの舞台にさらに強くなった姿で戻ってきたいです。応援してくださる方々に恩返しできるようにまた頑張っていきたいなって思います。
――本日宮崎県で地震があったのですがご存じでしたか?そのことについてどう思うか。
日下選手 情報は入っていなかったのですが、最近日本でも様々な災害が増えてきて苦しい思いをしている人たちがたくさんいる、そういった情報は入っています。自分が災害に遭ったことはありませんが、苦しい思いをしている人たちに自分ができることは勇気や元気を届けることだけなので、自分が戦っている姿を見て、少しでも元気になっていただけるのであれば元気を届けたい、そういう思いがあります。
須﨑選手 私も日下選手と同様で、苦しい状況の方々に勇気や前を向く力など、そういったことを届けることがアスリートの使命だと思うので、自分のやるべき使命を全うして、少しでもそういった皆さんに貢献できるように戦っていきたいなと思います。
――(日下選手への質問)反響が大きすぎるとフリーズしてしまうとのお話がありましたが、どれくらいのメッセージが来たか?また、印象に残ったメッセージは?
日下選手 今まで見たことがないLINEの通知量があり、まだ全てを見ることができていません。SNSのフォロワー数も少なかったのですが急に増えていて、今までなら世界選手権で勝った後に返信なども全て終わっていて、「ありがとうございます」などの返事も1件ずつ返信していたのですが、今回はそれができなくて「えっ?」という感じでフリーズしてしまいました。印象に残った言葉というか今朝たまたま恩師から連絡があったのですが、「様々なところで注目されるけど、実るほど頭を垂れる稲穂かな」とメッセージがありました。この言葉はずっと昔から言われていたことなのですが、「そういったことを思い出してまた一から頑張れよ」とメッセージが来ていたので、今後のテーマにしていきたいなと思っています。
――(須﨑選手への質問)次の4年間、8年間はどんな時間にしていきたいですか?
須﨑選手 この銅メダルが今はすごく悔しいですが、次の4年間8年間は銅メダルがあって良かったと思えるように、オリンピックチャンピオンになれる日を目指して頑張り続けたいなと思います。
お気に入りに追加
関連リンク
CATEGORIES & TAGS