パリ2024オリンピックのレスリング・男子グレコローマンスタイル60kg級で金メダルを獲得した文田健一郎選手、レスリング・女子フリースタイル68kg級で銅メダルを獲得した尾﨑野乃香選手が8月7日、記者会見を行い、競技終了から一夜明けての心境を語りました。
会見の冒頭、選手の前に置かれた輪島塗のタンブラーの紹介がありました。石川県輪島漆器商工業協同組合よりご協力いただき、今年1月1日の能登半島地震をパリで戦っているメダリストも忘れず、被災された方々も一緒に頑張ろうというメッセージが発信できたらという思いで用意されました。
■尾﨑選手「負けてから自分を奮い立たせて頑張ってこのメダルを勝ち取った」
――一夜明けた感想をお願いします。
文田選手 金メダル獲得から一夜明けて、今首にかけているメダルを改めて見て本当に獲得したのだなと。昨日は興奮の中でアドレナリンが出ている中でメダルを見ていたのですが、落ち着いて見ると自分が長い間目標にしていたことを叶えられたと改めて朝に実感しました。東京2020オリンピックの銀メダルというのはやはり悔しいメダルで、そこから3年間パリで金メダルを獲得することだけを見てきました。今は金メダルを手にして東京2020オリンピックのあの銀メダルがあったからこそ、今金メダルをこうやって首から下げられているなと実感しています。
尾﨑選手 一夜明けてこの銅メダルが私のものなのだなと思いました。すごく光栄な思いでもありますし、ここまで頑張ってきた自分を褒めたいと思います。しかしながら、やはり金メダルを目指していたので悔しいという思いは大きくあります。ただ、負けてから自分を奮い立たせて頑張ってこのメダルを勝ち取ったことは、私にとってすごく大きな成長でもありますし、応援してくださった方々やアリーナからたくさんの応援をもらったので、その方たちへの恩返しができたのではと思います。自分のことを応援してくださっている日本の皆さんに一歩踏み出す勇気、そして感動を届けられる試合ができたのかなと思います。
――(文田選手への質問)勝った瞬間にスタンドに向けて指を指していましたが、どちらの方に向けてのものだったのか?
文田選手 360度どこを見ても日の丸がはためいていて、本当にたくさんの方に応援されているなと実感しました。最初に「やったぞ」と思い伝えたかったのは、家族を含めずっと一番近くで支えてくれた妻や娘、両親、応援に来てくれた方たちに伝えたくて最初にそっちを見て「やったぞ」と気持ちを共有しました。
――試合が終わってからどのように過ごしましたか?
文田選手 セレモニーなどがあったので、昨日は直接会うことできなかったです。連絡もバタバタしていてできていないのですが、家族一丸でこの金メダルを目指していたので、妻に「サポートありがとう」とメッセージを伝えました。
――大会前からお子さんに負けている姿を見せたくないと言っていましたが、有言実行で世界一強いパパになっていかがですか?
文田選手 ひと安心というか、娘の前では負けたくないと宣言してからも世界選手権では決勝で敗れたり、ドイツの国際大会でも敗れたりしているのですが、実際に現地に応援に来てくれた試合では今のところ負けなしできており、オリンピックまでは勝っている姿をとずっと(見せたい)と思っていました。ひとまず宣言は叶えられたので一安心だなという思いです。世界一強いパパになりはしましたが、世界一のパパにはまだ全然なっていないと思っています。これから娘にとってすごく良い影響を与えたり、娘が健やかに育ってくれることが世界一のパパになることだと思っているので、世界一強いという今の自分自身が、娘に良い影響を与えられるように意識しながら生活していきたいと思います。
――これから日本のレスリングをどのように引っ張っていきたいか?
文田選手 昨日決勝が終わった後に40年ぶりにグレコローマンが金メダルというふうに問われたときに、「40年間日本のグレコローマンがずっと勝てなかった」という言い方をしました。しかし、改めて考えるとそんなことはなく、僕の前にもずっとオリンピックの金メダルを目指して競技に取り組んできた先輩方がたくさんいらっしゃいました。40年金メダルは出ていなかったのですが、その偉大な先輩の方々全員が一歩を踏み出すためにグレコローマンスタイルに取り組んでおり、その方たちが歩みを止めないで前に出続けてくれたからこそ、たまたま僕がその先輩方の力を借りてこの一歩を踏み出せたと思っています。40年ぶりの一歩になっていると思いますが、グレコローマンはまだまだすぐまた止まってしまうような競技ではないので、僕が引っ張るというよりも選手が常に前に出ようと頑張っています。僕はサポートではないですが、僕が見せることでまた後ろに続いてくるくれる選手がそれを夢見て、競技に取り組んでくれる子供たちが1人でも多く増えてくれたらいいなと思っています。
――(尾﨑選手への質問)メダルを獲得してから、どのように過ごされましたか?
尾﨑選手 選手村へ帰ってきて様々なことを思い、オリンピックのメダルを何回も何回も見て、本当にこのメダルを勝ち取ったのだなということをすごく感じ、様々な人への感謝や私がレスリングを始めてから一生懸命ここまで上り詰めてきた自分を振り返り、よく頑張ったなと思っていました。そのように1日を過ごして今日目覚めたときにベッドの横に銅メダルが置いてあり、それが本当に嬉しくて写真を撮ったりしました。そんな本当に嬉しい1日を過ごしています。
――試合中、会場中に「野乃香」コールが響いていましたが、その声は聞こえていましたか?
尾﨑選手 もちろん聞こえていて、試合に入るときから「野乃香~」とたくさん声をかけていただき、戦うのは私ですが1人じゃないように感じ、背中をすごく押してもらいました。「大丈夫、大丈夫、私ならできる」ということをずっと頭の中で考えて試合をしていました。
――応援してくれている方と会話や連絡などはしましたか?
尾﨑選手 バタバタしていたので友達や家族に会えていないのですが、メッセージでは「本当に来てくれてありがとう、みんなのおかげで本当にいつもの自分らしく戦うことができた」というのは伝えました。
――ご家族にメッセージはありますか?
尾﨑選手 私がここまで来られたのは両親の支えが一番あったからだと思っていて、メディアの方にも伝えたのですが、「私を育ててくれて、私は今の両親のもとに生まれて本当に幸せだ」ということを伝えたいです。LINEや電話では「本当にありがとう」と伝えています。
――今後の目標は?
尾﨑選手 階級はまだ終わったばかりなので考えていませんが、4年後のロサンゼルス2028オリンピックに向けて進んでいくというのはもう決まっているので、そこでは必ず金メダルを獲得して一番高いところでもっともっとビッグスマイルで皆さんに勇気や様々な思いを届けられたらと思っています。
――(文田選手への質問)鹿児島のレスリング界も文田選手の快挙を喜んでいますが、そういった状況を踏まえて改めて喜びと、お父様と二人三脚でやってきた中でどのようなことを学んだのか教えてください。
文田選手 鹿児島とのゆかり、繋がりは小さい頃から感じていて、父方の祖母はずっと鹿児島に住んでいました。僕も小さい頃から毎年父が運転する車で一晩かけて鹿児島に帰っていたっていうことはすごく今でも覚えていて、大事な思い出です。奄美大島にも何度も行ったこともありますし、第2の故郷ではないですが、鹿児島に帰るということは特別なことではなく昔から日常の中にありました。東京2020オリンピックに出場するときから、徳之島の方にすごく大きな横断幕を飾っていただき、僕は徳之島にまだ行けてはいないのですが、島を上げて応援してくれているぞというのは父からずっと教えてもらっていました。今回も出場が決まった後にすごく大きな横断幕を飾っていただいているので、このメダルがその恩返しの一つとなり、少しでも感謝の気持ちの一部としてこのメダルを持って報告に行けたらと思っています。
――お父様の教えについて、大会を通して意識した部分は?
文田選手 父のもとでレスリングを始め、グレコローマンの根幹の部分は全て父から教わりました。「投げてなんぼ」というか、投げにこだわる攻めるスタイルというのは父のもとで作り上げました。投げにこだわったからこそうまくいかなかった部分や、こだわったからこそ自分が救われた部分など様々な要因がありました。今回の試合の内容を振り返ると、自分の根幹の「投げてなんぼ」という精神が、ディフェンシブなスタイルで固くという中でも投げるきっかけやタイミング、技の切れに繋がったと思っています。小さい頃から父のもとでやってきた剃り上げが、身体が勝手に動いて出たので、父の教えてくれた攻めるレスリングスタイルが世界に通用するのだぞというのをしっかり証明できたなと実感しています。
――(文田選手への質問)豊田監督、笹本コーチからどのような指導を受けたか?
文田選手 全日本のグレコローマンのコーチ陣からは、東京2020オリンピックが終わった後に僕以上にショックを受けているなというのをすごく感じました。僕ももちろんショックだったのですが、ずっとサポートしてきたコーチ陣はその当時37年ぶりの金メダルが(目標に)あって、僕が思っている以上に(そのことを)思っていて、そのぐらいの熱量でずっと指導をしてくださっていたので、僕が金メダルを逃した瞬間はすごくショックだったと思いますし、そのショックが僕にも伝わってきました。そこからは僕が切り替えるよりも早くグレコローマンの強化をもっとしていこうという体制になり、グレコローマン全体の底上げ、トップを伸ばすことに加え、階級も年齢層も広く強化していこうというのがグレコローマン全体を通してすごく感じました。その結果が僕の金メダルに繋がっていると思いますし、日下であったり曽我部であったり、この3階級がグレコローマンで出場できるというのはやはり3年前の東京2020オリンピックの悔しさを指導陣も本気で受け止め、3年後は必ず金メダルをという気持ちが僕の一つの金メダル、そして日下、曽我部3階級出場ということに繋がったのかなと思います。
――メダル獲得後にどのように声をかけられたか?
文田選手 時間がなくて会ったのは一瞬でしたが、「良くやった」と力強い握手とメダルを見せてくれと言われメダルを手渡しました。すごく様々な思いを持ちながら自分のメダルを見てくれて、「頑張った」という声をかけていただきました。
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