第4回 クーベルタン男爵とオリンピック憲章の成り立ち
オリンピック憲章を実際に読みながら、オリンピズムへの理解を深めてきたお父さんと女の子。今回は、近代オリンピックを創設したピエール・ド・クーベルタンが生きた時代と、オリンピック憲章の成り立ちについて勉強します。
監修:NPO法人 日本オリンピック・アカデミー
クーベルタンてどんな人?
リビングルームのパソコンで、女の子がなにやら熱心に検索しています。
- なにを探しているんだい?
- クーベルタンさんの写真よ。今日はクーベルタンさんについて勉強するんでしょう?どんなお顔の人だったかなと思って。
- お父さんが子どものころは、そういうときは本で調べたものだけど、お前たちの世代はインターネットで検索するんだな。
- だって、その方が断然速いもん。ほら、もう見つけた。
わぁ、立派なおヒゲ!
- クーベルタンは、「男爵」という位を持つフランスの貴族だったんだ。1863年、4人兄弟の末っ子としてパリで生まれたんだよ。
- パリの貴族!? じゃあ、お金持ちで、優雅に暮らしてたの? どうしてクーベルタンさんがオリンピックを始めることになったの?
- 今日はその背景をくわしく見ていくことにしよう。そこには、彼の古代ギリシャについての教養、教育に対する熱意、そして時代背景など、さまざまな要素が重なり合っていたんだ。
- わぁ、難しそうだけどおもしろそうだな。
- 前にも話したけど、オリンピックの起源は、紀元前776年から紀元後393年までギリシャのオリンピアという都市で行われていた古代オリンピックなんだ。
- うん、覚えているよ。
- クーベルタンは子どものころ、通っていたイエズス会系の私立学校で、カロン神父という先生から古代ギリシャ文明について教わって、その世界にとても関心を持っていたんだ。でも、古代ギリシャの遺跡は長い歴史の中で土に埋もれてしまったものが多く、古代オリンピックが行われていた競技場や神殿も、393年の大会のあと1500年近く、場所がわからなくなっていたんだ。
- そうなんだ、知らなかった。
- ところが、クーベルタンが12歳だった1875年、ドイツのクルティウスという考古学者によってオリンピア遺跡が本格的に発掘され始めたんだ。
- 12歳といったら、私と同じ年じゃない! クーベルタンさんもドキドキしたんだろうなぁ。
- 世の中の人々のあいだでも、オリンピア遺跡についての関心がすごく高まったんだよ。でも、そんなロマンあふれる発見があった一方、当時のヨーロッパはとても暗く不安定な時代でもあったんだ。戦争をしたり、皇帝が暗殺されたり、外国を侵略して植民地を広げたり……。クーベルタンがいたフランスもそうだったんだよ。
- それじゃぁ、ちっとも平和じゃなかったのね。
- 当時の貴族はただ優雅に暮らせたわけではなくて、軍人になるか、政治の道に進むのが普通だったんだ。でもクーベルタンは、軍隊の力や国の権力がどんどん強くなっていく当時の風潮に、なにかが違うと感じていた。そこで彼の関心が向かったのが、「教育」だったんだ。