きっかけ・理由
学生連盟で運営側に
組織運営に入るキッカケ
ちょうど大学のヨット部の先輩が学生ヨット連盟の委員長をなさっていて、その流れから私が指名されて、大学を卒業した頃から運営組織に携わっていました。当時私が参加したのは、学生と実業団の女子が一緒に加盟していた「関東女子ヨット連盟」です。この連盟を少しずつ大きくして、「全日本女子ヨット連盟」も設立して、女子のヨット競技を普及させる活動に長く取り組んできました。当時は、女子は試合に出してもらえないという問題もありましたので、女子の連盟を作って女子だけの大会をしましょう、ということをしました。そういうことをするのは、当時から嫌いではなかったですね。
ですが、その後、自分で事業を立ち上げたため、競技のお手伝いからは一時期離れていました。
理事として再びヨットの世界へ ソウル五輪
再びヨット(セーリング)の世界に戻ってきたのは、1988年のソウルオリンピックが、セーリング競技のなかで初めて470(セーリング競技の1つ)を女子の種目に採用したことがきっかけでした。その後、いろいろと段階を踏んで理事になりました。
1995年、50回大会の福島国体のときに、セーリング連盟で女性のレース委員を初めて採用しようということになり、私が任命されました。その経過を経て、次の神奈川国体でレース委員長を務めるなど、だんだん重要な立場に就くようになり、その後、会長から推薦されてセーリング連盟の理事になりました。自分が理事になるとは思っていませんでしたが、たまたま私がいたので、という感じで採用されたのかもしれません。女性が活躍するということはまだ珍しい時代でした。