見どころ
今大会のチーム 〜「蹴倒・世界」〜
5大会連続の出場を決めたチームに寄せられている期待は、間違いなく44年ぶりのメダル獲得だ。ロンドンオリンピックを目前に関塚隆監督は「蹴倒・世界、挑むだけでなく、世界を蹴り倒すイメージで戦って勝たないといけない」と、決意を新たにした。
アジア2次予選からスタートした関塚監督が率いるU-23日本代表の戦いは決して楽なものではなかった。クウェートを相手にホームで3−1で快勝したものの敵地では1−2で敗れ、2試合合計4−3で辛くも突破。グループ1位のみロンドンオリンピックへの出場権を得る最終予選でも、幸先良く3連勝したが、次に迎えた第4戦、アウェーでシリアに黒星を喫し、総得点差でグループ2位に後退。首位の座をシリアに明け渡した。しかし、日本は追い込まれてから底力を発揮する。「チーム全体で一体感を持って自分たちのサッカーを貫くことが大事」という指揮官の信念通り、マレーシアに4−0で大勝した。続く最終戦では日本サッカーの聖地、国立競技場で気持ちの入ったプレーを披露。危なげない戦いでバーレーンを2−0で下し、ロンドンへの切符を手にした。
関塚ジャパンへの期待は日に日に高まっている。理由は何といっても昨今の著しい若手の成長にある。日本ナンバーワンMFと言っていい香川を始め、宇佐美貴史や酒井高徳、最終予選で活躍した大津祐樹など多くの選手たちがすでに海を渡り、海外クラブで活躍中。清武弘嗣、酒井宏樹、原口らは日本代表にも選出されるようになった。U-23日本代表に呼ばれた当時は所属クラブでレギュラーでなかった扇原貴宏、山口、鈴木大輔らは関塚監督に見いだされ、厳しいアジアの戦いを経験し急成長。今となってはクラブでも中心選手となっている。戦力的に十分に可能性を感じられる。誰がロンドンの地に立っても堂々と世界を相手に戦ってくれることだろう。
関塚監督は「オリンピックとは不思議な縁があるようだ」と言う。1996年に28年ぶりに日本をオリンピックに導き、ブラジルを破ってマイアミの軌跡を演じた西野朗氏(現神戸監督)は早稲田大学の先輩で親交も深い。1968年のメキシコオリンピックで銅メダルを獲得したメンバーの宮本征勝氏(故人)は、大学と本田技研時代で薫陶を受けた恩師だ。同様にユース日本代表時代に厳しい指導をしてくれたという松本育夫氏もそうだ。知将は当時を振り返りながら、「世界を経験した先駆者の方たちの練習は厳しく辛かったが、日本サッカーを世界レベルにしたい、という情熱を感じた」と、感慨深げな表情を浮かべながら話す。
いざ出陣。ベストメンバーを組んだ関塚ジャパンは、集大成の場、ロンドンオリンピックで世界を驚かせる覚悟だ。「宮本さんの自宅に招かれたとき、銅メダルを見たことがある。さすがに手に取ることしませんでしたけど」と笑顔を見せた指揮官は、闘志を内に秘める。サッカー界の先輩たちの思いと、国民からの期待を背負い、メダルを目指してサッカーの母国、英国でU−23日本代表は躍動することだろう。
過去のオリンピックにおける日本男子サッカーの歴史
(1)アジア唯一の銅メダル
1936年のベルリンオリンピック初出場から今回で9回目の出場を数える。1964年東京大会では、南米の強豪アルゼンチンに勝ちベスト8を記録。初のベスト8を記録した東京大会から4年後、日本代表は快進撃を見せた。3位決定戦が行われた1968年メキシコ大会では、地元105,000人の大観衆のなか、釜本が2ゴールをあげて地元メキシコを破り、アジアサッカー史上(男子)唯一の銅メダルを獲得した。釜本は大会得点王となり、2大会連続出場したオリンピックでのゴールは通算8ゴールとなった。歴史に残る記録を達成したその後、日本が再びオリンピックに出場するには実に28年の月日を要した。
(2)マイアミの奇跡、大会はオーバーエイジを採用
1993年、プロサッカーリーグ「Jリーグ」が発足し、日本が一大サッカーブームになるなか、28年ぶりに、1996年アトランタオリンピック出場権を獲得した。本大会には川口能活や中田英寿などが出場。初戦で強豪ブラジル代表に勝利し「マイアミの奇跡」と呼ばれた。このブラジル代表には、後のワールドカップ優勝メンバーのロナウドやロベルトカルロスがいた。この大会から年齢制限を伴わない3名の選手(オーバーエイジ枠)を入れることが可能となったが、日本は23歳以下の選手のみで臨んだ。
(3)ゴールデンエイジ
1998年のFIFAワールドカップ初出場の勢いにのり、2年後の2000年に行われたシドニーオリンピックにはフィリップ・トルシエを監督に迎え、先のワールドカップに出場した中田英寿らに加えて中村俊輔、稲本潤一など「ゴールデンエイジ」と呼ばれるタレント豊富なチームで挑んだ。楢崎正剛らオーバーエイジ3選手の枠を使い、グループリーグ突破を果たすも、準々決勝のアメリカ戦でPK戦ののち敗退した。
(4)アテネ経由ドイツ行き
2004年アテネオリンピック大会出場は、日本史上初となる3大会連続の出場となった。監督には、2000年シドニーオリンピックと2002年FIFAワールドカップで指揮を執ったトルシエのもとでコーチを務めた山本昌邦が就任。「アテネオリンピックからドイツワールドカップ」につながるチーム作りをコンセプトとした。メンバーには、田中マルクス闘莉王や小野伸二(オーバーエイジ枠)が入った。本大会では、初戦パラグアイ戦を落とすと、続くイタリア戦も2対3で敗れ、最終戦ガーナ戦で1勝するにとどまり、グループリーグ突破はかなわなかった。
(5)情熱と誇り
反町康治監督のもと、サッカーに対する「情熱」、日本代表である「誇り」を持って常に戦うことをコンセプトにチームを立ち上げた。守備の堅さが大きな特徴となるチームで、予選12試合を通しての失点は4点のみであった。これまでのオリンピック代表では、本大会前に海外移籍する選手は少なかったが、この世代から選手が海外移籍をするようになった。大会当時、中盤の本田圭佑はVVVフェンロ(オランダ)、また森本貴幸はカターニャ(イタリア)所属であった。グループリーグ3試合すべて敗退する結果となったが、本大会での経験は強い印象を残し、メンバーだった香川真司や長友佑都、吉田麻也らはその後、相次いで海外移籍を果たし、現在では日本代表の中心選手としてプレーしている。
過去のオリンピックでの日本の戦績
◆1936年ベルリン大会 準々決勝敗退
・1回戦 |
vs スウェーデン |
O3−2 |
・準々決勝 |
vs イタリア |
X0−8 |
◆1956年メルボルン大会 1回戦敗退
・1回戦 |
vs オーストラリア |
X0−2 |
◆1964年東京大会 グループリーグ突破(1勝1敗)、準々決勝敗退
・グループリーグ |
vs アルゼンチン |
O3−2 |
|
vs ガーナ |
X2−3 |
・準々決勝 |
vs チェコスロバキア |
X0−4 |
・5、6位決定予備戦 |
vs ユーゴスラビア |
X1−6 |
◆1968年メキシコ大会 グループリーグ突破(1勝2分け)、銅メダル獲得
・グループリーグ |
vs ナイジェリア |
O3−1 |
|
vs ブラジル |
△1−1 |
|
vs スペイン |
△0−0 |
・準々決勝 |
vs フランス |
O3−1 |
・準決勝 |
vs ハンガリー |
X0−5 |
・3位決定戦 |
vs メキシコ |
O2−0 |
◆1996年アトランタ大会 グループリーグ敗退(2勝1敗)
・グループリーグ |
vs ブラジル |
O1−0 |
|
vs ナイジェリア |
X0−2 |
|
vs ハンガリー |
O3−2 |
◆2000年シドニー大会 グループリーグ突破(2勝1敗)、ベスト8進出
・グループリーグ |
vs 南アフリカ |
O2−1 |
|
vs スロバキア |
O2−1 |
|
vs ブラジル |
X0−1 |
・準々決勝 |
vs アメリカ |
X2−2 PK4−5 |
◆2004年アテネ大会 グループリーグ敗退(1勝2敗)
・グループリーグ |
vs パラグアイ |
X3−4 |
|
vs イタリア |
X2−3 |
|
vs ガーナ |
O1−0 |
◆2008年北京大会 グループリーグ敗退(0勝3敗)
・グループリーグ |
vs アメリカ |
X0−1 |
|
vs ナイジェリア |
X1−2 |
|
vs オランダ |
X0−1 |
ロンドンオリンピック予選戦績
(1)アジア2次予選(2011年6月19日、23日)
クウェートとのホーム&アウェイ方式で戦い、上位チームが最終予選に出場できる。
日本は2戦合計のスコアを4−3とし、最終予選への進出を決めた。
2011年6月19日 U-22日本代表 vs U-22クウェート日本代表 O3−1
2011年6月23日 U-22クウェート代表 vs U-22日本代表 O2−1
(2)最終予選(2011年9月21日〜2012年3月14日)
2次予選を勝ち抜いた12チームが3グループに分かれ、ホーム&アウェイ方式でリーグ戦を戦い、上位1チームがオリンピック出場国となる。各グループ2位の3チームはその後、セントラル方式でプレーオフを戦い、上位1チームが大陸間プレーオフへと進む。
日本はホーム&アウェイ方式のリーグ戦でグループ首位に立ち、5大会連続の出場を決めた。
チーム名 |
勝点 |
勝利 |
引分 |
敗戦 |
得点 |
失点 |
得失点 |
順位 |
日 本 |
15 |
5 |
0 |
1 |
13 |
3 |
+10 |
1 |
シ リ ア |
12 |
4 |
0 |
2 |
12 |
6 |
+6 |
2 |
バーレーン |
9 |
3 |
0 |
3 |
8 |
11 |
-3 |
3 |
マレーシア |
0 |
0 |
0 |
6 |
3 |
16 |
-13 |
4 |
2011年9月21日 |
U-22日本代表 vs U-22マレーシア代表 |
O2−0 |
2011年11月22日 |
U-22バーレーン代表 vs U-22日本代表 |
O0−2 |
2011年11月27日 |
U-22日本代表 vs U-22シリア代表 |
O2−1 |
2012年2月5日 |
U-23シリア代表 vs U-23日本代表 |
X2−1 |
2012年2月22日 |
U-23マレーシア代表 vs U-23日本代表 |
O0−4 |
2012年3月14日 |
U-23日本代表 vs U-23バーレーン代表 |
O2−0 |