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~第4章~
成長期①
NPO活動からのスタート

「NPO法人ジュース(JWS)」(1998年設立)

証言者:小笠原悦子氏(NPO法人ジュース<JWS>理事長)

NPO法人ジュースは1998年に、2006年に熊本で開催された「第4回IWG世界女性スポーツ会議(以下、「第4回IWG会議」と表記)」開催を目指して設立され、同会議開催までの8年間、精力的な活動を実施した。2018年現在、ジュースの理事長を務める小笠原悦子氏は、女性スポーツを支えた他の団体とは異なり、8年間という短い時間の中で急速に女性スポーツムーブメントを推進させた設立者でもある。

世界会議開催という明確なゴール

「2006年の第4回IWG世界女性スポーツ会議はアジアで開催する」。1998 年の第2回IWG世界女性スポーツ会議(ナミビア)で小笠原氏がこのアナウンスを聞いたことがジュース誕生の最初のきっかけであった。

当時、世界の女性スポーツムーブメントに関心を示し、IWG会議に参加していたアジア人は3カ国からたったの5名(日本人は3名)。完全に世界のムーブメントから取り残されていたアジアをリードできるのは、「高度経済成長を迎え、経済的にアジアを牽引している日本しかない」と、日本にIWG世界女性スポーツ会議を招致することを決意した。

4年後の2002年のカナダでのIWG会議で次回開催国として挨拶し、8年後に世界会議を開催するという明確なタイムラインと目標がジュース設立当初から存在していた。そのため、学会大会や記者会見などを通じて、国際会議招致を大々的に告知し、ジュースの活動は瞬く間に全国区となった。

また、当時の日本では、1998年に市民の自由な非営利の社会活動を後押しする「特定非営利活動促進法」が、1999年には「男女共同参画社会基本法」が施行され、日本の社会制度の変革もジュースの急成長を後押しすることとなった。

さらに、労働省事務次官を務め、女性が社会で活躍することの重要性を理解する小粥義朗氏が、日本オリンピック委員会の専務理事として、ジュースの活動を全面的に支援したことも大きい。

アジアに形成された女性スポーツネットワーク

第4回IWG会議の日本開催がもたらした成果を、小笠原氏に聞いたところ、アジアの女性スポーツのネットワークが作られたことだと話す。第4回IWG会議の瞬間を「間違いなく、強固なアジアの女性スポーツネットワークが存在した瞬間だった」と述べる。

世界には大陸や地域ごとにネットワークがあるのに対し、アジアではそのようなネットワークは存在しなかった。ジュースはアジアに女性スポーツのネットワークを作ることに邁進し、2001年には第1回アジア女性スポーツ会議を開催した。同会議の中で、AWG(アジア女性スポーツワーキンググループ)が結成され、2007年まで2年に1度、アジア女性スポーツ会議を開催し、アジアオリンピック評議会(OCA)の中に「女性スポーツ委員会」を設立することに成功した。

2007年にはOCA女性スポーツ委員会にAWGが戦略的に統合され、OCAの中で恒常的に女性スポーツの発展に関して予算措置がされることとなった。

日本のスポーツ政策に「女性」を

国内においては、ジュースのメンバーが設立当初から目指していた、日本のスポーツ政策の中に「女性」を入れ込むことについても成果をあげた。2006年にスポーツ基本計画が改定となり、第4 回IWG会議開催直後の「中央教育審議会スポーツ・青少年分科会」に小笠原氏が有識者として呼ばれ、スポーツ政策の中に取り入れるべき「女性」に関連する事項を提案した。これは小笠原氏本人の希望よりも、ジュースメンバーが長年希望し目指してきた目的であったと語る。

ジュースメンバーはスポーツ政策の中で「女性」に関する記載を含めてもらうために、1998年から2006年までの活動を通じて、調査研究活動を行い、会議やワークショップを記録に収め、スポーツ政策に「女性」を含む必要性を示す根拠となるデータや資料を蓄積した。

IWG会議後のジュース

第4回IWG会議は、約100カ国から約700人の参加者が集い、過去最大の会議となった。と同時に、国際会議開催を目的として結成されたジュースはその役割を終えた。しかしながら、今もなお、ジュースが存在し、小笠原氏が理事長を務める理由は、ジュース会員や理事らが存続する意義を感じているからであると述べる。

第4回IWG会議開催を支えたジュースメンバーは、今もなお、そのネットワークと信頼を生かし、様々なプロジェクトでそれぞれの立場から、女性スポーツ発展のために貢献している。小笠原氏は、組織は目的のために存在するため、組織を残すことへのこだわりはないと語り、組織が社会で必要とされるならば、それに応じて形を変えていくことに迷いは見られない。ジュースとしての表立った活動は2006年以降あまりみられないが、ジュースで構築されたネットワークが、女性スポーツの発展を支える人々を今でもつなげている。

postscript取材後記

8年間という短い時間を全力で駆け抜けたジュースは、日本とアジアの女性スポーツをダイナミックに発展させた。スポーツマネジメントの博士号を本場のアメリカで取得した小笠原氏だからこそ、これまでとは異なる、組織論のアプローチから女性スポーツに取り組み、ダイナミックな発展に寄与できのではないか。


国際会議を招致するという組織の使命を持って設立されたジュースは、同じ方向を目指す、国内外の多くの人々を巻き込み、駆け抜け、「男女平等なスポーツ文化を創る」という新たな価値をスポーツ政策に落とし込んだ。小笠原氏の取り組みは、様々な分野の専門家が女性スポーツに関わることによって、大きな変化が生まれる可能性を示している。また、このジュース邁進の影には、小粥義朗氏という女性スポーツムーブメントの意義を理解し、全面的に協力した、男性の存在があったことも決して忘れてはいけないと感じた。


野口亜弥(順天堂大学 スポーツ健康学部 助手、女性スポーツ研究センター 研究員)