きっかけ・理由
メンターからの後押しを受けて
初めて理事になった経緯
1998年にJリーグの理事になったことが、私の理事としてのキャリアの始まりです。
現役選手を引退し、学習院大学で教員をしていたなかで、自分自身が経験したことしか学生に伝えられない歯がゆさを感じていました。
学ぶ場を求めて筑波大学の大学院へ進学し、自分が経験してきたことを文字にして残していく作業をしました。
大学院に通っている間に、企業に支えられてきた実業団バレーボールチームが次々と廃部になりました。
「地域で育てるスポーツ」の時代になることをメディアを通じて発信していたところ、Jリーグも同じ価値観を共有していることから、Jリーグで理事を改選する際に、川淵さんに理事にならないかと声をかけてもらい、勉強させていただくつもりで引き受けました。
会長になった経緯
川淵さんが日本バスケットボール協会の会長を引き受ける際に、副会長の1人として声をかけてもらいました。バスケットボールは競技人口の半分が女性であることから、副会長に私と小野さんの2名の女性が選出されました。川淵さんが日本バスケットボール協会を改革する際に私の名前を思い浮かべてくださったことは、とてもうれしく思いました。
2014年頃、改革が始まっていたバスケットボール協会にとって、サッカー、バレーボール、体操と全く別の競技の出身者で理事会が構成されていることを見せることは、国際連盟にもアピールとなっていたと思います。
川淵さんが1年の任期の間に急速に改革を行い、そのあとを引き継ぐ形で川淵さんからお誘いを受けて、私が会長職を引き受けることとなりました。