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長野1998


採れたて長野通信

ワンダフル・オリンピック ありがとう! 閉会式の感動レポート

26年ぶりに日本で開かれたオリンピック。1998、冬季オリンピック長野大会が大成功のうちに終わる日を迎えました。日本代表選手団が獲得したメダルは10個。もちろん、冬季オリンピックの歴史の中で最高の成績です。前回リレハンメル大会までに冬のオリンピックで日本が獲得したメダルの数は19個。1956年のコルチナダンペッツォ大会で猪谷千春選手が銀メダルを獲得して以来、40年近くかかって獲得してきたメダル数の半分以上を、長野だけで獲得したのです。しかも、長野までの金メダルはわずかに3個。札幌の笠谷幸生選手、アルベールビルとリレハンメルのノルディック複合団体だけでした。それが、長野では一気に5個の金メダルを獲得したのです。

日本選手の大活躍が印象的でした!
閉会式は18時からの開始です。でも、14時の開場と同時に続々と観客が詰めかけて、16時になるころには、スタンドのほとんどが埋まりました。そして、16時45分からは、場内の大型スクリーンで長野オリンピックのハイライトシーンが流されたのです。日が落ちると、風の冷たさが身にしみるほどです。でも、スタンドの観衆は、スクリーンに映し出される熱い戦いを思い出し、寒さなど感じていないようです。

スピードスケート男子500mで金メダル、男子1000mで銅メダルを獲得した清水宏保選手。
ジャンプノーマルヒル個人で銀メダル、ラージヒルでは金メダル、さらに団体で金メダルを獲得した船木和喜選手。
ラージヒルで銅、団体で金メダルを獲得。そして、メダルだけでは語れない「伝説」もありうるドラマを見せてくれた原田雅彦選手。
ジャンプラージヒル団体で金メダルを獲得した、岡部孝信選手、斉藤浩哉選手。
フリースタイルスキー女子モーグルで、大殊勲の金メダルを獲得したシンデレラガール、里谷多英選手。
スピードスケート女子500mで、みごとに期待に応えて銅メダルを獲得した岡崎朋美選手。
そして、ショートトラック男子500mでは、金メダルの西谷岳文選手と銅メダルの植松仁選手が、ジャンプラージヒルと同じく2本の日の丸をあげました。
西谷選手は日本史上最年少の冬季五輪メダリストです。

長いようで短かったオリンピック。ボランティアや関係者、観客や選手たち、いろんな人の力が集まって実現した、すばらしい祭典でした。
オリンピックを現地で取材していて、痛切に感じたことがあります。それは、世界的な祭典の中でいろんなことがあったけど、やっぱり「選手が主役、全力で戦う選手の姿がすばらしい」という、とても当たり前のことです。

長野で見た日本選手の大活躍は、きっと子供たちの心を動かしたことでしょう。長野を見た子供たちの中から、きっと次の世代の名選手、メダリストが誕生してくるに違いありません。

メダリストのみなさん。本当にすばらしいドラマを見せていただきました。ありがとう。そしておめでとう。
メダルには手が届かなかった選手のみなさん。結果はともかく、全力を尽くす姿がすすばらしかったです。あなた方が悔し涙とともに語った言葉は、わたしたちの心に芯に響きました。ありがとう、そしてお疲れさま。

さあ、閉会式が始まった!
18時。いよいよ閉会式が始まりました。照明が落とされ、夕闇が深く包み込んだ会場の中央に、4つの篝火があかあかと燃え上がります。会場が厳粛な雰囲気に染まります。40人の花笠童女(上田市別所温泉の子供たち)が登場し、手に持ったかごから花をまきながら場内を一周します。まるで童話の絵本のワンシーンを見るように幻想的な情景が広がりました。
閉会式の総合司会は欽ちゃんこと萩本欽一さん。花笠童女がトラックを一周すると、場内には萩本欽一さんの声が流れました。さすがの欽ちゃんも緊張しているのでしょうか。少し声が震えているようです。

勝負を終えた選手たちが明るく入場
ステージに上がった欽ちゃんは、飛んだ帽子を欽ちゃん走りで取りに行くパフォーマンス。会場に笑いが起こり、ぐっとなごやかな雰囲気になったところで、選手入場が始まりました。

開会式とは違い、戦いを終えた選手たちはリラックスした表情です。入場行進の途中にも、気軽にスタンドに向かって手を振り、聖火をバックに記念写真を撮ったりしています。

あたりはもうすっかり夜の暗さです。この日、昼間はすばらしい晴天に恵まれた長野市。オリンピックのしめくくりにふさわしい明るい空で、とても暖かだったのですが、夜になると2月の寒さがしんしんと身にしみてきます。風の冷たさをうち払うかのように、観客は盛大な歓声と拍手を選手たちに送ります。

サマランチIOC会長が日本語でしめくくり
セレモニーはとても幻想的に進みます。選手たちの入場が終わると、長野県下の伝統的な「祭り」が集まって、閉会式を盛り上げます。2002年の冬季オリンピックの開催地となるアメリカのソルトレークシティーのデモンストレーションでは、カウボーイや幌馬車まで登場しました。

会場に一段と温かな雰囲気が流れたのは、サマランチIOC会長が閉会宣言の最後に「ありがとう長野、さよなら日本」と、日本語でしめくくってくれた時です。開催前から、いろんなことがありました。でも、大成功のうちに幕を閉じる「ありがとう、NAGANO」という気持ちは、広く世界の人々の記憶に残っていくことでしょう。

閉会式はいよいよクライマックスへ!
セレモニーが進み、聖火が消されました。場内には「あああ」といった名残惜しそうな声が響きます。無数のカメラのフラッシュが、消えようとしている聖火台に向かって光ります。

場内を再び暗くなったあと、観客がそれぞれ手に持っていた提灯に火を灯すと、会場はさらに幻想的な雰囲気に包まれました。閉会式はいよいよクライマックスに突入していきます。

杏里さんが「故郷」を歌います。子供たちが合唱します。観客も一緒に、場内全体が声を合わせて歌います。
ステージに上がった欽ちゃんで「みんなの故郷は?」と大きな声で観客に問いかけると、みんなが「地球」と答えます。会場が大きな連帯感でいっぱいになりました。

5000発の花火。これはもう、みごとというしかない美しさでした。取材班の後ろにいた女のコは「ここに来れてよかったね」と興奮気味に話していました。
そして「WAになって踊ろう」の大合唱。選手たちが席を飛び出して一緒に歌い、踊ります。泣いている人もいます。みんな歌っています。歌おうとしています。閉会式終了を告げるアナウンスが流れても、場内の盛り上がりはさめません。選手たちが踊りながらスタンドに向かって手を振ると、観客が精一杯の歓声で応えます。欽ちゃんが取材班のいたスタンドに向かって走ってきました。帽子を取って手を振りながら、みんなに万歳を呼びかけます。

本当に、もうこれで長野オリンピックは終わってしまうのでしょうか。取材班はみんなと一緒に万歳をしながら、ずっとここで、こうしていたい気持ちになったのでした。

長野オリンピックは終わったけれど
16日間の長野オリンピックは幕を閉じました。『採れたて長野通信』の現地取材班は、毎日さまざまな会場に出かけて競技を観戦してきました。感じたのは、4年に一度、あらゆるスポーツの世界一を決める戦いが一同に集まって行われることのすばらしさです。そして、その戦いを自分の目で見ることのできた喜びです。 今まで、そして今でも、多くの日本人にとってのオリンピックはテレビで観戦するものだったのではないでしょうか。でも、長野では「その場所」に立って見ることができたのです。多くの日本人が、生でオリンピックの競技を観戦する機会を得ることができたと思います。 原田選手が2本目の大ジャンプを決めた時、自分の頬に当たった雪の感触を覚えています。金メダルへのレース直前、リンクの中央に大の字で寝ころんだ清水選手のまわりにだけ張りつめた静けさを感じることができました。

4年間、この瞬間のためだけに厳しい練習を積み上げてきた選手にとってはもちろん、見る者すべてにとってオリンピックは「聖なる祭典」であることを実感できました。 ありがとう選手たち。ありがとう長野。そして、ありがとう世界の仲間たち。2000年のシドニーで、2002年のソルトレークで、そして願わくば2008年には大阪で、それぞれのオリンピックが成功することを祈ります。See you happy Olympic games!

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