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~第1章~
歴史的変遷1950年代~2019年までの歴史的変遷
2017年の第2期スポーツ基本計画に「スポーツを通じた女性の活躍」が政策の1つの柱として位置づけられたことは、「女性とスポーツ」に携わり、女性スポーツの発展のために動き続けてきた女性リーダー達にとって、待望であった。
日本の政策の一つに「女性とスポーツ」が位置づけられるまでの間、多くの女性アスリートの活躍があった。同時に、彼女たちを支えるために、競技環境の男女平等を訴え、調査・研究を行い、変革のために邁進してきた女性たちも多くいる。 -
~第2章~
黎明期「日本女子体育連盟(JAPEW)」(1954年設立)
終戦から間もない1954(昭和29)年、日本女子体育連盟(以下、JAPEW)は「日本の女子体育の普及振興をはかり、生涯にわたる女子体育に関する研究と実践等の事業を行い、もってすべての人々の心身の健全な発達に寄与すること」を目的に発足した…
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~第3章~
萌芽期「女性スポーツ財団日本支部」(1981年設立)
米国では、1974年にプロ・アマ・競技種目に関係なく、女性スポーツの地位の向上を目指すWSF(Women's Sports Foundation:女性スポーツ財団)が誕生した。当時、フリーランスのスポーツジャーナリストとして、オリンピックを初め内外のスポーツ事情を取材していた三ッ谷洋子氏は、日本にも同様の組織が出来ればと思い、1980年に「第1回国際女性スポーツ会議」を企画・開催し、翌1981年12月にWSFジャパンを設立した…
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~第4章~
成長期①
NPO活動からのスタート「NPO法人ジュース(JWS)」(1998年設立)
NPO法人ジュースは1998年に、2006年に熊本で開催された「第4回IWG世界女性スポーツ会議(以下、「第4回IWG会議」と表記)」開催を目指して設立され、同会議開催までの8年間、精力的な活動を実施した…
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~第5章~
成長期②
学会からのアプローチ「日本スポーツとジェンダー学会」(2002年設立)
2002年に創設された「日本スポーツとジェンダー学会」(以下、JSSGS)は、今年で18回大会を迎える。「スポーツにおける男女平等・公平の達成」を目標に掲げてきたこの学会は、単なる学術団体の枠を超え、人びとの偏見や認識を問うためのアクションを起こしてきた学会でもある。飯田貴子氏は、初代会長でもあり、体育・スポーツ系の学会で初めて「ジェンダー」の用語を使って発表した方でもある…
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~第6章~
発展期「JOC女性スポーツ専門部会」(2002年設立)
1994年に1回世界女性スポーツ会議が開催され、決議文として「ブライトン宣言」が採択された。当時日本ではその存在は知られていなかったが、小笠原悦子氏の働きかけにより2001年アジア女性スポーツ会議が開催され、そこでJOCがブライトン宣言に署名する運びとなった。しかし当時日本では女性スポーツに対する問題意識は薄く、課題も明確ではなかったため、今後の方策に向けて各競技団体の代表から意見聴取することを目的として「女性スポーツプロジェクト」が設置された。その後1年間の準備期間を経て、2002年に「女性スポーツ部会」が発足した…
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~第7章~
政策的な変遷国際的なスポーツとジェンダーに関する変遷
スポーツにおいてジェンダーの平等政策の中で語られるようになったのは、アメリカで制定された、教育改正法第9編(以下、「タイトル IX」とする)が初めてである。タイトル IXは1960年頃アメリカで拡大したウーマン・リブの女性解放運動の後押しを受け、連邦政府から補助金を受けている全ての学校において、男女の違いによる差別を認めないことを法律で定め、部活動のようなスポーツプログラムにも適用されることとなった…